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昭和十六年、農学校三年のときだった。富士宮市杉田の北方にあった次郎長開墾を過ぎ、点在する民家や荒蕪(荒れた土地)が間遠になると、道は黒木林に入る。紆余曲折した馬力道であり、深い轍(わだち)に自転車のハンドルが取られ難渋する。だらだらの上り坂にあえぐこと三時間あまり、十里木街道に出る。
集合場所は、勢子辻分校である。十数名を擁する単級に職員一名とか。小さいながらもこぎれいなたたずまいに三日間のなじみを願うことになる。参加者は全体で三十数名。炊事当番を残して現地に向かう。手に持つ得物はそれぞれに下刈り用のかっぷせ鎌や枝打ち用のなたである。作業の要領や業物(わざもの)の使い方に加えて、マムシに注意するように呼び掛けたのは「マムシ」のニックネームを持つ林業の先生で、みんなにんまりとする。
現地は、分校から五百メートルぐらいの山寄りである。十五年生ぐらいの林の下草刈り、他方の枝打ちの林は下枝が閉じ、丸尾特有の根が曲がった不格好なものである。目通りの枝を打つ。 仕事のノルマは緩やかである。ヒグラシの鳴き声を聞きながら、打ち枝の枯れ粗朶(そだ)を小わきに帰途につく。されど、「君は川流を汲め我は薪を拾わん」のサバイバルはない。 食事は学校の周到なお膳立てと、近隣の善意に支えられ、一汁一菜、焼け焦げの飯にも舌鼓を打ち、飽食できないままでも、堪能したものである。野外会食の妙である。 一日が終わり、枕をつけても寝付きが悪い。疲れ故のまどろみはあるが、非日常的な違和感からのざわめきが多い。先生の注意のあとへ、国語で習ったばかりの蘇軾(そしょく)の「春夜」をつまみ食いして「声細細、夜沈沈」と半畳を入れ、翌朝、国語の先生からたしなめられたことを覚えている。 朝の寝覚めは小鳥の声である。みどりの山々にからむ霧の趣は目に新しい。一日の生気を呼び込むには十分である。清風一過して汗を干すのは勤労の醍醐味であり、共有することによる友情の証であることは間違いない。 (元富士宮市立大宮小校長 渡辺直享・昭16卒) 勢子辻の学校林では、植林王・金原明善の指導で明治三十五年から植林が始まり、昭和二十年前後まで林業実習が行われた。 |
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