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蒲原在満国民学校(現・中国黒竜江省)はハルピン市の蜜峰駅から徒歩三時間、新潟県北蒲原郡の人たちで編成された開拓団の学校で児童は百人程度であった。翌年、ハルピン桃山在満国民学校に転勤、学校は地段街(日本人街)にあり、生徒数千余名で明治四十二年本願寺で創設され歴史は古く、現在は兆麟小学校として重点校となっている。当時、日本人学校は花園、白梅、桜、桃山の国民学校があった。私は四年男子組の担任で四年以上は男女別の学級編成だった。
これに対し劉校長は「私は児童職員を代表して皆さま方の来校を熱烈歓迎いたします。皆さま方は今日母校に来校され、中日友好の架け橋になることと思います。一九七九年新潟市と姉妹都市となり、萬代小と姉妹校の縁組みもし、手紙や校旗、筆書等の交換をしています。ボールの贈り物、子供たちも喜び身心を鍛え、技を磨いてくれると思います。私たち中日友好のシンボルとしていきます。子供たちの筆書を用意してありますのでどうぞお受け取り下さい。桃山小の同窓生としてとこしえに中日友好の友誼をお願いし、歓迎の言葉とします」。 翌日はありし日の桃山在満国民学校生活を胸に秘めてハルピン空港に向かい、機上の人となった。 (元富士宮市立北山中校長渡辺恒男・昭16卒) |
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