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 エピソード(1) 長靴の久さん

退学覚悟で許可求める

 「校長は何も実情を知らない馬鹿者だ。雨の日の登下校に長靴を履くことを許さないとは何事か!」。昭和十二年、生徒会の弁論大会。佐野久(昭13卒)はクラス代表として上がった講堂の壇上で突如、静けさを破る大声を張り上げた。佐野が退学も覚悟した「長靴事件」の始まりだ。

 「長靴禁止」のお触れを掲示板に張り出したのは五代校長浜田襄太郎。戦争色が濃くなったこの年、浜田は、常に皮の編み上げ靴で登下校するよう、生徒と教師に求めた。

 雨の日に舗装されていない道を皮の編み上げ靴で歩くのはつらい。生徒はもちろん、教師からも「不条理だ」という声がひそかに上がった。校長の権威が絶対だった当時のこと、表立って不満を口に出すことなど、だれも考えなかった。

 佐野は弁論大会の壇上に上がる前、「一発かましてやろう」と心に決めた。原稿を考えていたわけでもない。「思い返すと、あまりに直接的に言い過ぎた。興奮し、次々と言葉が出てきた」。聞いていた生徒にはくすくすと笑い出す者もあったが、「馬鹿者」の言葉に教師たちは驚き、会場に緊張が走った。

 「ちゃんさん」こと教頭長浜末喜が飛び出し、佐野に向かい「久、降りろ」と声を荒らげたが、佐野はひるまない。「降りろ」「降りません」の押し問答を無理やり断ち切り、最後まで弁論を続けた。「よくやった長靴の久」と賛辞を浴びた佐野。「退学か停学か」。もう覚悟は決まっていた。

 終了後、長浜に呼び出された。「校長に馬鹿者とは何事か」「馬鹿だから馬鹿だと言ったんだ」。佐野は頭を下げない。長浜は教室で待つように命じ、職員室に向かった。小一時間たっただろうか。「もう帰ってよい」と長浜。佐野は拍子抜けした。

 佐野は後日、同窓会の席で“おとがめなし”の経緯を知る。「実は教頭が職員室に戻った後、私の処遇について職員会議があり、ほとんどの先生が退学を主張したが、国語の吉田勇先生が周りの先生を説得してくれたそうです」。厳格で知られる校長浜田も訴えをくみ、一週間ほどで、長靴の着用が許可された。

 佐野は上級生からも下級生からも一目置かれる存在になり、皆が「長靴の久さん」、と愛着を持って呼んだ。佐野が三年の時、赴任した六代校長大石信一もそうだった。登下校の道すがらや、実習の最中に「おい佐野」と近づいてくる。アユ釣り好きの大石と盛んに釣り談議を重ねたことを今でもよく思い出す。

 佐野は大宮農学校通学当時と同じ山梨県南巨摩郡南部町に妻と二人暮らし。八十歳になる今も野良仕事に精を出す。人望が厚く、町議も三期務めた。(文中敬称略)

 【注】カッコ内は卒業年。


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