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昭和三十四年冬、青空に一発の号砲が響いた。全校生徒が参加する第一回の強歩大会(マラソン大会)のスタート。コースは学校の正門から国鉄静岡駅前の松坂屋デパートまで約四十二キロ。足にできたマメの痛さと闘いながらひたすらゴールを目指す。距離の長さは県内随一。多くの卒業生が思い出の第一に挙げる宮農の名物行事だ。 ほとんどの生徒が下は体操ズボン、上には学生服。富士宮市から南に下り、富士市で国道1号に出て、国鉄東海道線の線路に沿って西に向かう。牛馬車や自転車、時折通る三輪トラックなどを横目に、走ったり、歩いたり。日ごろから鍛錬している陸上部員は先頭を切って走り抜ける。
静岡市内に入り、静清国道の向こうに松坂屋デパートの建物が見えてくる。疲れが吹っ飛び、へとへとの生徒たちの顔に笑顔がのぞく。ゴールにたどり着いたのは全体の約八割。当時の体育教諭、清家末夫(せい・かまお)は「生徒たちは本当によく頑張った。家庭や学校の周りで自主的に練習するなど張り切って参加した生徒ばかり。派手さはないが、地道に努力する子が多かった」と振り返る。 三十九年の第六回大会から四十一年の第八回大会までは富士宮市内から身延駅までの男子約四十五キロ、女子約三十七キロのコース。寒風吹きすさぶ一月の峠越えは厳しく、中には途中の駄菓子屋に立ち寄っておでんを食べたり、腰に巻いたおにぎりを口にして休憩する生徒もあった。 四十二年ごろから交通事情の悪化などで市内中心のコースになると、沿道に立つ保護者や一般市民が格段に増え、応援熱はますます高まった。元園芸科長石川勝之(昭20卒)は「コース上に置かれた関門では大勢の母親たちが出て、飲み物やおにぎり、あめ玉などを振る舞った。それを楽しみに次の関門まで頑張る生徒もいました」と語る。 ことしの第四十二回大会は十日、全校生徒約五百八十人が参加し、富士市の富士川緑地から田子の浦港近くまでを往復する男子約十キロ、女子約八キロのコースで行われた。距離は短くなり昔のようにほほ笑ましいエピソードは少なくなったが心と体の耐久力を高める場として強歩大会の伝統は生き続けている。(文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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