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 「クラブ活動」(2) 陸上部

伝統の駅伝復活目指す

 「駅伝というのは超チームプレーの競技だ。〇・一秒でもいいからタイムを縮めるつもりで、持てる力を出し切れ」。昭和四十六年から九年間、陸上部監督を務めた体育教師望月紘一は選手たちをしった激励した。

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高校駅伝で県大会3位、東海大会12位という最高成績を残した昭和46年当時の陸上部員=「昭和47年卒業アルバム」から
 ちょうどそのころは、陸上部・長距離陣の黄金時代。高校駅伝は四十五年から五十五年まで十一年連続で東海大会出場を果たした。東海に出られるのは県大会六位まで。安定した成績は層の厚さとたすきをつなぐチームワークのたまものだ。望月は「富士山ろくやアップダウンのきついゴルフ場など高所で鍛えてきたんだから、自信を持って走れ」と後押しして選手をコースに送り出した。

 最高成績は四十六年の県大会三位、東海十二位。五十三年の東海大会は最終区に引き継ぐまで八位を保っていたが、十四位に終わり、記録更新はならなかった。

 石川孝(昭50卒、旧姓風岡)は三年の夏、千五百メートル障害でインターハイ全国六位という結果を残した実力派。当然チームのエース格で、駅伝県大会では期待を担って一区に起用された。自信もあり、勢い良く飛び出したものの、思惑は外れて「七位か八位」で二区につなぐのがやっと。石川は「連続出場記録もこれまでか」と心を重くしてゴールでアンカーを待った。「逆転して六位で飛び込んできた瞬間のうれしさは表しきれない。仲間がいて良かった、と団体競技の意味を実感した」と今も熱い気持ちで思い出す。

 農業高校は放課後に実習が多く、存分に練習する時間が限られている。やろうとすれば朝練を主体にするしかない。練習環境に恵まれないこともあり、低迷期もあった。

 駅伝は今年、ようやくチームが編成できるようになり、約十年ぶりに出場した。短距離の選手も駆り出すなど台所事情は厳しく、成績も四十七位に終わった。出場選手は「満足のいく結果ではなかったが、個人種目とは違う楽しさがあった。来年もぜひ挑戦して、伝統の駅伝復活を」と期待する。

 現在、部員は一年生から三年生まで約二十人。人数も増え、部の雰囲気にも活気があふれている。今年十月に三重県で開かれた高校新人陸上東海大会には、渡辺拓麻(五千メートル競歩、二年)今沢勝(五千メートル競歩、二年)渡井学(ハンマー投げ、二年)中山孝彦(ハンマー投げ、二年)小宮義也(ハンマー投げ、一年)若狭淑子(走り幅跳び、一年)の六人が出場した。いずれも個人種目で、他校では選手層の薄い競歩やハンマー投げ、女子の走り幅跳びなどに力を入れる。

 現顧問の綾部敬は「陸上競技を通して人間関係の形成を学んでもらいたい」と新たな伝統づくりに意欲を燃やす。(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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