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 「クラブ活動」(3) 野球部

強い宮農復活を目指す

 平成六年夏の高校野球県大会。速球派の右腕門西明彦(平7卒)を擁する野球部は順調に勝ち上がった。舞台は島田球場。古豪掛川西と準決勝進出をかけて戦う。

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昭和37年夏の高校野球で初勝利を挙げた選手ら=「昭和38年卒業アルバム」から
 主将阿部新之助(平7卒)は、スライディングを受け、出血でユニホームを赤く染めた遊撃小林聖治(平7卒)をナインが励まし合いながらチーム一丸となって強敵に食い下がっていったことを鮮明に覚えている。

 試合は掛西が先制し、宮農が追う展開。土壇場の九回を迎え、得点は4―1と3点差。宮農は最後の反撃に出た。門西の左前打を足掛かりに内野ゴロで塁を進めると、けがの痛みをこらえて小林が中前適時打を放って2点を挙げ、1点差まで詰め寄る。準々決勝から生徒が全員応援参加となった宮農側スタンドは歓声に沸き立った。なおも二死一、二塁と食い下がったが、掛西投手の力投に後続の打者が倒れ、試合は終了した。

 反撃は実らなかったが、阿部は「もう一歩、あと一試合と粘り強く戦ってきた。チームワークのたまもの」と振り返る。ベスト8進出はこのときが初めてだった。

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ベスト8に進出した平成6年夏の高校野球県大会で入場行進する宮農ナインら=「平成7年卒業アルバム」から
 野球部の創部は明治三十五年ごろ。農業高校は実習が放課後にあり、攻撃や連係プレーなど練習にもある程度の人員が必要な野球部は不利なことが多い。夏の大会で初勝利を挙げたのは昭和三十七年。開会式直後の第一試合で、3―1で磐田南高を破った。創部から実に約六十年越しの歴史的勝利だった。生徒の応援は十人に満たなかったが、選手らは懐かしく思い出す。その後の主立った記録では平成三年のベスト16進出がある。

 現在、部員は夏に引退した三年生十一人を除き一、二年生で十七人。人数は決して多くはないが、毎週のように練習試合を組み、経験を積む。若いチームで活気にあふれ、チームのまとまりも出てきた。

 監督の秋山達は「波に乗っているとどこまでも調子が良いのが野球部の強み。やる気の高揚と考える力をつけることが飛躍につながる」と来年春から夏に向けての成長を期待する。秋山は「結果重視ではなく、頑張りを体得する過程の大切さを教えたい」と指導に当たる。

 富士宮は野球熱が盛んな土地柄。子供のころから野球に親しみ、山間地特有の体力もあって潜在能力は高い。「強い宮農野球部の復活を目指し、目標は甲子園」と選手らは練習に励む。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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