![]() |
|
「白糸寮の花壇が流失したって。何とかしなくちゃ」昭和四十七年夏、鈴木一彰(昭50卒)ら花クラブの現役部員に声が掛かった。富士宮地方を襲った集中豪雨で富士宮市上井出の「天竜厚生会老人ホーム白糸寮」は近くを流れる潤井川のはんらんで大きな被害を受けた。
白糸寮の花壇には思い入れが強い。完成させたのは佐野敬吉(昭44卒)らの年代。扱いにくい土地に苦労しながらコンクリートを砕き、砂の上に土を運び込んで花壇を仕上げ、苗から育てた花を植えた。佐野らは「うまく育っているかどうか卒業してからも気になり、十年ほど通い詰めた」と振り返る。 花クラブは昭和二十年代に発足した。その後「園芸クラブ」「フラワーアート部」と名を変えている。草花栽培から装飾、ガーデニング、バイオテクノロジーや環境問題と園芸の幅広い分野で活動する。 四季の花の種まきから肥料やり、草取り、と一年を通して活動に休みはない。花壇やプランターの作品は、校舎の正面玄関や昇降口、農場施設だけでなく、駅や市役所などの公共施設でも人々の目を楽しませている。 初期に部長を務めた元農業教諭石川光隆(旧姓幾見、昭25卒)は、昭和四十年から五十年代に顧問として生徒をまとめた。「花を通して奉仕の心を育てたい」と石川は、老人ホームや授産施設などの花壇作りを積極的に進めた。生徒が施設に出向き、施設内の草取りをして花壇を整え、校内で苗作りをした花を移植する。「お年寄りや施設の入所者が生徒の働く姿を見て感激し、その様子を生徒は肌で感じる」という石川の狙いは成果をあげた。 石川香(昭45卒)は「クラブのために学校に行っていたようなものだった」と懐かしむ。花好きな部員が集まったのはもちろん、人間付き合いが楽しくて放課後は毎日のように活動した。篠原正明(昭47卒)は「私たちはピクニック気分で校外に出掛けたものだが、花壇が出来上がると本当に喜んでもらえた」ことを思い出す。 資材や花を校外に運搬するために、卒業生が車を運転して手伝いに来ることも多かった。部員同士、在校生と卒業生のきずなは自然と深まった。クラブ出身者の夫婦も多く、石川が仲人を務めた結婚式も多数にのぼる。OBは現在も趣味として園芸を続け、時には先輩後輩で集まり語り合う。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
掛中・掛西百年史 御殿場高 躍進の百年 榛原高100年史 静岡新聞へ |