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テーブルの上にずらりと並んだ測量機器、土木機械や露出試験器具、それぞれの名前や地図のきまり、計算の公式などを次々と答えていく―。学校農業クラブ全国大会の農業鑑定は幅広い知識や実技試験が短時間で試みられる場だ。 昭和四十九年、北海道岩見沢市で開かれた全国大会の農業鑑定農業土木部門では加納秀紀(旧姓神山、昭50卒)が石を加工する機械に一瞬戸惑った。実物を目にするのは初めて。「何かの本に出ていた『ビシャン』じゃないかな」。加納は頭をよぎったその名を思い切って答えた。正解だった。 農業土木の設問は三十。一問を一分以下の短時間で答え、次へ進まなければならない。農業土木部門は、全国の農業高校から選抜された百人近くの強豪が集まる。加納は設問の大多数に正解し、見事優勝を飾った。「まさかの結果で喜びと驚きが一緒にきた。とにかくほっとしました」と加納。地道に続けてきたことが報われたことに胸をなでおろした。
昭和三十八年に農業土木科が設立されてから約十年。北海道にも同行した宮下は「加納の快挙を喜ぶだけでなく、宮農の農業土木は全国レベルだ、と自信を深めた」と当時を懐かしむ。 昭和四十年代の農業土木科の雰囲気は活気にあふれ、朝から夜まで授業以外の時間を使って自主的に勉強する生徒も多かった。大学卒業程度の学力が必要な測量士の資格に、同時に六人が合格した年もあった。 農業鑑定や測量技術部門で、宮農は頻繁に全国大会に選手を送り出した。昭和六十二年には、小林隆秀(昭63卒)が加納と同じく農業土木部門で全国優勝を果たしている。 (文中敬称略) 【注】カッコ内は卒業年。 |
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