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 「名物教師」 

熱血指導が生徒に浸透

 「母のような先生」と慕われた家庭科教諭石井巳は昭和三十九年から十六年間在籍。生活科の女子生徒だけではなく、授業を持たなかった男子生徒も一目置く存在だった。

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大野クラスはなんでも良く話し合い、団結力も強かった(右から3人目が大野忠さん)=昭和41年、修学旅行先の北九州で
 石井の授業は典型的なプロジェクト学習型。「宮農の生徒は概して困難に負けない努力家」とみた石井は自分で課題を見つけ、努力して解決する方式をとった。それでも、「何とか一人前にしようと思うと、親のように面と向かって言ってしまって―」と石井は熱血指導を振り返る。

 学校農業クラブでの生活クラブの活躍も石井の指導力によるところが大きい。関東ブロック大会に約十回出場、全国大会四回進出など優秀な成績を修めた。石井紀枝(旧姓村松、昭54卒)は「生徒のやりたい方法を尊重し、足りないところを補い、かつ提案してくれた」と感謝する。

 施設園芸に新境地を開いた石川勝之(昭20卒)は昭和二十五―四十六年と五十六―六十三年の延べ二十八年間籍を置き、「汗を流すことほど尊いものはない」と説いた。

 当時は園芸科をはじめ、農業高にさまざまな科が新設された改革の時代。石川は、ビニールハウス栽培やロックール(培地)を利用した水耕栽培など、新しい方法も試行錯誤しながらいち早く取り入れた。望月秀和(昭62卒)は「収穫時期をずらしたキウイが実り、家に持ち帰って食べたときのおいしさが忘れられない」と話す。農業後継者を目指す生徒は石川の指導でその意欲をますます高めた。

 「大野クラスはまとまりがある。学校始まって以来だ」と卒業後も繰り返し言われるのが大野忠。倫理社会の教諭として昭和三十九年から三年間務めた大野は二、三年目に農業土木科のクラスを担任。「生きる力、伝える力を養いたい」と授業以外の時間も生徒の中に飛び込んでいった。

 有名なのが、昼休みのソフトボール。雨が降る日も毎日欠かさず、全員でソフトボールをした。大野もゲームに加わり、授業中とは違う生徒の顔も見きわめた。遠藤光俊(昭42卒)は「皆の意見がまとまるまでとことん話し合え、という言葉が何より印象的。真剣に何度でも考えを伝え合った経験が社会に出ても役立っている」と話し、コミュニケーションの大切さを学んだ。  大野クラスは、今でも約三年ごとに同窓会を開く。現在は県出納長を務める大野を慕い毎回半数以上の生徒が集まる。出席率の高さは、教育力の大きさを物語る。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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