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 100周年記念誌編集 

母校愛と歴史まとめる

 「単なる記念誌ではなく、学校の歩みを振り返りつつ、この地域の農業史として役立つものを作ろう」。創立百周年が三年後に迫った平成九年、記念誌作製に向けて編集委員会が結成された。記念行事で最も力を入れた事業だった。編集委員長は赤池賢治(旧姓篠原、昭16卒)。松井哲三(昭19卒)ら卒業生と武則建二をはじめとする元教職員、学校職員らを中心に委員は約十五人。生活館に拠点を置き、A4判、約四百ページを想定した記念誌の制作が始まった。

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完成した100周年記念誌を手にする編集委員長の赤池賢治さん
 佐野英利(昭16卒)ら編集委員は「卒業生の母校に対する愛情と、農業への誇りを表現できるようにしたい」と考えた。地域の発展に学校が貢献してきた歴史を、史実に即して盛り込む。そのためにはできるだけ多くの声を取り上げる必要がある。

 卒業生全員に声を掛け、各学年ごとに原稿を募集。約百四十点が集まった。熱心な卒業生が重複して応募してきたり、戦前の卒業生が激動の体験を思い入れのたけを込めて書いたものも多く、選択には苦労した。文章を整えるための添削には気を遣った。

 次に取り掛かったのは、明治三十三年から百年間にわたる学校の歴史に併せ、原稿を年代順に並べる作業。毎週火曜日の午後、教職員も参加して編集を進めた。赤池は「生活館に原稿をずらっと並べ、時代ごとに差し替えたり適切な写真を差し挟んだり、と大変な作業だった」と振り返る。文章や表現にこだわりを持つ元教員や、学校の歴史に詳しい卒業生らが編集委員を務めているから、意見がまとまるまで時間を費やしたこともある。

 佐野は「膨大な原稿量に苦労しつつも、こんな事件もあったのか、と楽しみながら読み進めた」と思い出す。原稿や資料に登場する場所を実際に訪れるなど、意欲的に取り組んだ。

 記念誌は平成十二年十月末、ようやく完成をみた。記念式典は目前。「間に合うか心配した時期もあったが、無事仕上がった。苦労したかいがあった」と赤池らは喜び合い、胸をなで下ろした。

 百周年記念誌は三部構成。第一部「学校百年の歩み」と第三部「想い出」は、多数の卒業生や旧職員から寄せられた原稿が基になっている。第二部「富士地区農業の百年」は農林事務所などの協力を得て、表やグラフを多用し分かりやすい歴史資料に仕上がった。赤池は「懐かしく、読みごたえがある。皆にも納得してもらえるだろう」と達成感を表す。

 記念誌は三千百部を発行し、式典を終えた十一月下旬に同窓生ら二千三百人に郵送された。

(文中敬称略)

【注】カッコ内は卒業年。


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