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「母校といいながら校舎や校庭になじみはない。でも、忘れられない歌が歌い継がれ、うれしく思いました」。音楽部仲間に共演を呼び掛けた栗原董夫(昭25卒)の声が弾んだ。 逍遥歌は昭和二十三年、若手教員の青木久と中村喜夫(故人)がそれぞれ作曲、作詞し、第一回香陵祭を記念して生徒に贈った。全校生徒の前で初めて逍遥歌を披露した音楽部員にとって忘れがたい歌になった。 在校生とOBの共演は、音楽部OB会が十一年にまとめた一冊の追悼集から始まった。幹事長土屋祐(昭26卒、故人)の死を悼む冊子の中で、教員川口孝博(昭46卒)の目をとらえたのが、「小諸白昼夢」と題した栗原の手記。 土屋は八年、音楽部の世話をし、逍遥歌を作曲した青木を囲もうと発案し、OBたちと長野県に向かう。旅の途中のうたた寝で栗原は、逍遥歌の歌碑が東高に建ち、青木の指揮にあわせて在校生とOBが歌う夢を見る。歌碑除幕式の様子を日記風に伝える内容に、川口は「百周年の香陵祭で、ぜひこの風景を実現させたいと思った」と打ち明けた。 入学早々、上級生にみっちり教え込まれる校歌・応援歌をはじめ、東高には歌が多い。川口は逍遥歌を「卒業式の最後に全校生徒で歌う、『蛍の光』的なもの」と説明する。 栗原は作曲者の青木について「国語の先生だけど、いつもピアノに向かってショパンなんかを弾いていた」と語る。久しぶりに声を合わせたOBたちは「当初から古くさい歌だな、という人もいました。でも、大方には好評だったから歌い継がれてきたんでしょう」と色あせないことを喜んだ。 香陵祭祭典委員長の大沢昂史(3年)は、大先輩とともにステージに立った一人。「これから二日間やるぞ、と気持ちを高ぶらせてくれました。逍遥歌について、あらためて考える機会になったのでは」と共演を振り返った。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年
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