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「第一回は一年のとき大教室でやった。たしか自己紹介をやらされた。あんとき八木がひっぱたかれた…」 昭和二十年卒の同窓生ら有志による冊子「香鵬」七号には、江藤敬広、八木一郎ら山線(御殿場線)利用者が座談会で語った旧制沼津中学時代の通学風景が、生き生きと記されている。入学早々に体験した通学区大会の恐ろしさは今も忘れない。 「ひっぱたかれた」八木は「何かと理屈をつけちゃあ殴られた。ビンタは少なくとも往復で力まかせ。伝統的に山線は厳しかった」と話す。江藤は「沼中とはこういう男っぽい学校だと上級生が下級生をしごくことと、新四年が五年を持ち上げつつ排除する意味があった」と解釈する。 山線に限らず、各大会で鉄拳が振り下ろされた。帽子を平らにしたり、ボタンを外した“とっぽい”下級生に目を付ける。西岡昭夫(昭20卒)は「後ろに連れていってなぐるので、音や声だけが聞こえてきた」と緊張と恐怖の中で正座したことを思い出す。 上級生と下級生のつながりが特に深かった山線では、秘密裏の歓送迎会「御殿場大会」も開かれた。御殿場小に集まり、薄暗くなると机をバリケードのように窓側へ積み上げた中で、上級生が手配した親子どんぶりを食べた。江藤は「怖かったが、今までとは違うんだと自覚させられた」と振り返る。林秀治(昭17修)は「上級生と下級生が親ぼくを図るため、野球もやった。“他校の生徒と何かあれば言ってこいよ”と鼓舞してくれる上級生もいた」と懐かしむ。 戦争のため四年間で卒業し、下級生を“指導”する最上級生になれなかった二十年卒業組にも、時折チャンスが訪れた。五年生が留守をすると、規律の乱れに目を光らせる週番は四年生の役目。西岡は「御成橋のたもとで、とっぽい下級生を次から次とやっつけた。なぐる側は、下級生をしめることよりも解放感が大きかったのでは」と明かす。
(文中敬称略)
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