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第1部 歩み

開校期

行啓に感激し「記念館」

遠隔地の生徒が生活した寄宿舎=「沼中東高80年史」から
 明治三十四年四月、楊原村上香貫(現沼津市御幸町)、通称香陵の地に沼中は開校した。学校跡地は現在、沼津市民文化センターと香陵グラウンドとして利用されている。第一回の入学生は百四十八人。初代校長は堤敬太郎で、六月に校舎の新築落成をかねて開校式が行われた。

 校舎は濃いれんが色の平屋建て。運動場は田んぼを埋めて作られ、富士山に面するように正門を置いた。教室はコの字型に配置し、中庭に講堂があった。第一回卒業生の渡辺慎一(明38卒、故人)は手記「回想の記」の中で、「校舎の敷地と運動場との境には、常緑の相当大きな樹木が繁茂して誠に立派なもの」と書き留めている。

 開校期の施設として生徒の記憶に残るのが寄宿舎。三十五年、校地の南側に建てられ、遠隔地の生徒が利用した。二階建ての一階に自修室や食堂室、二階は一部屋七、八人の寝室が設けられた。同年四月から生徒が入り、十一月には三十七人の舎生が暮らした。

 細かい規則が定められたが、部屋ごとに盆栽や草花、肖像画や生徒が描いた風景画などを飾り、家庭的な雰囲気を醸し出す自由があった。定期的に茶話会や遠足も企画され、学年の枠を超えた交流を楽しんだ。

 行啓記念館も沼中生にとって思い出深い施設。一階は図書室、二階は集会場として利用した。

 明治四十五年に建てられた記念館は、皇太子殿下(大正天皇)が前年、沼中で授業参観されたことを記念し、一年たらずのうちに計画、完成した。

 四十四年六月十五日、朝から雨が降る中、皇太子殿下は人力車で沼中に到着された。殿下は、五年東級の立体幾何などの授業を参観した。この時の緊張感を、大原虎夫(明45卒、故人)は「頭上より冷水を、そそがれし如(ごと)く」「呼吸は止まる程に」と「学友会報」十七号に表現している。

 沼津御用邸は二十六年に開設され、皇太子殿下もしばしば訪れていた。沼津の人々にとって大きな誇り。突然のご訪問は、沼中生に大きな感激を与えた。

 寄宿舎は増改築を繰り返すが、交通機関の発達で次第に利用者が減った。昭和二年、沼津商業学校と駿東農林学校の三校で共用したが、昭和五年には廃止。行啓記念館は昭和二十年の空襲で焼失した。

(文中敬称略)

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