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事の起こりは十一月二十六日に開かれた全校武芸大会。柔道の試合中、審判の勝敗を告げる声が聞き取れなくて試合を続けようとした生徒を、対戦相手が殴った。手を出した生徒は謹慎を命じられたが、処分より先に教職員の圧制に対応してほしいと、日ごろから不満をためていた四年生らが職員室に押し掛けた。 学校側は生徒を罰することをやめたが、圧制の緩和・解消には何もこたえなかった。不満を募らせた四年生らがひそかに協議。十二月二日、裏門から三々五々、学校を抜け出し、狩野川伝いに千本浜に出て片浜に集合し、同盟休校の誓いを立てた。 四年生約六十人は砂崎徳三校長あての哀願書を決議した。「下級生に冷酷にして上級生にへつらい」「監督の方法惨酷にして生徒の自由を束縛」する教員らの排斥、改善を求めた。ストライキは二、三年生の一部にも及び、寄宿生も退舎して“参戦”したが、六日には全学年が復校した。 同盟休校は昭和初めまで何度か持ち上がった。昭和二年五月、五年生を中心に起きた事件は、厳格な配属将校への反発が引き金となった。約七十人が香貫山ふもとの霊山寺に立てこもり、将校ら五人の排斥を求める決議文を村山義孝校長に手渡した。 教員はもちろん、保護者の呼び掛けにも応じない生徒らの説得役を買って出たのが、同窓会長金子五策(明38卒、故人)や岡野豪夫(明40卒、故人)ら。沼中の名を汚したことをいさめる一方で、生徒側が安心して登校できることを約束し、学校側に掛け合った。その結果、参加者全員が無期謹慎となったが、実際には一週間で出校するという処分で事態を収拾した。 岡野は二年生の時、同盟休校に参加した経験を持つ。「昔日の前科のある連中がこれを買って出たのですから滑稽(こっけい)ではありませんか」と、創立四十周年記念号「香陵」で述懐している。
(文中敬称略)
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