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象山に出かけた菊池香都美(昭25卒、旧姓上杉)は、「良いことではないが、授業をさぼること自体は珍しくない時代。深く考えもしなかったし、だいいち山に登っても男女別々に固まっていた。学校に戻ったら、校舎の窓からみんなが見て騒ぎになったが、特に先生も怒らなかった」と打ち明ける。 男女共学初年度の女子は三学年で合わせて三十七人。沼津西高や三島北高から編入試験を受けて入学した。 迎える男子側は戸惑った。積極的に女子に声をかける者もいたが、多くは歓迎の気持ちが素直に表せない。菊池は「入学初日、女子が教室で腰掛けていたら、男子は中に入らず廊下でワイワイガヤガヤ。その様子に驚いた」と話す。 教員も女子を気遣い、心配した。初の女子生徒を対象にした学校説明会では「遠くからの通学でおなかがすくため、二、三時間目で弁当を食べてしまう生徒がいる。先生も見て見ぬ振りをしているからびっくりしないように」と男子の風景を解説してみせた。 大半の女子がのびのびと個性を発揮した。自治会活動やクラブにも積極的に参加。特に音楽部や演劇部などは、活動の幅が広がるため女子を歓迎した。勉学にも力が入る。勝俣吟子(昭25卒、旧姓小野)は「先生が非常におおらかで、しかも専門的な知識が豊富。質問にも広く答えてくれる」と意欲をかき立てられた。 急ごしらえの女子トイレや教員の研修室を間借りした更衣室。不便があっても自由な校風が心地よかった。バンカラの代名詞、げた履きや腰から下げた手ぬぐいも「これが男っぽさなのかな」と自然に受け入れた。勝俣は「女子でも本を立ててお弁当を食べる人がいた。だんだん気風に染まったのでしょう」と笑顔で振り返る。 翌二十五年には約五十人の女子が入学。その後も入学者は増え続け、現在は男女ほぼ同数となっている。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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