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「香陵ラーメン」は二十四年、「厚生部の香陵祭での出し物に」と食堂部員が中心になって始めた。沼津市内でラーメン屋を開いていた一杉和一(昭4年卒、故人)の手ほどきを受けた本格的な味。高木弘毅(昭25卒)は「生煮えでもいいから出そうというぐらい客が殺到した」と話す。 豚骨やとりがらのスープ、チャーシューの作り方などが代々受け継がれた。毎年売れ行きは上々。部員は泊まり込みで準備に明け暮れた。須田政彦(昭27卒)は「一杯十円の仕入れで売値は二十円。三日間で千食売れた」と話す。ラーメン自体がまだ珍しかった時代。客として足を運んだ志賀尚達(昭28卒)は「ラーメンが好きになった」と初めての味のとりこになった。 日ごろの食堂部は、パンやコロッケ、夏はアイスキャンディーなどを安く販売し、東高生の胃袋を満たした。焼き芋を、東京で仕入れた専用機器で焼くなど味にもこだわった。食堂部を利用した畠山栄(昭27卒)は「当時は日の丸弁当で、コロッケや串カツ、アジのフライといったおかずを買った」と懐かしむ。 掃除部は主に教室清掃、購買部は文房具の販売や傘の貸し出しなどを行った。須田は「厚生部に入ると初めは掃除部の仕事をした。一人が一教室を担当し、依頼する側は一人十円、一クラスで約五百円を厚生部に払った」と説明する。 香陵会館でのイベントでは、幕引きや照明係などの裏方を汗だくになってこなした。地味な活動が大半を占めたが、須田は「厚生部の活動は自治の表れ。単にお金を稼ぐだけではなく、喜んでもらいたいとアイデアを出し合うことが楽しかった」とやりがいを語る。 三十年代初めには購買部、掃除部に絞られ、昭和五十四年の購買部廃止で厚生部は役割を終えた。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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