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第1部 歩み

振学対策委員会

進学と人間教育が両輪

部外の講師を招いた振対の講習会=「振学十年」から
 「入学の当初から当校を過大評価して、この高校にさえ預けておけば進学は大丈夫と独り決めして甘い夢を貪り:学校任せの依頼心だけでは運命の開拓は出来ません」。

 並々ならぬ気迫が伝わる一枚の趣意書が昭和三十一年二月、保護者に届いた。差出人は「沼津東高校PTA内進学対策部会」。後に振学対策委員会(振対)と改称して教員、PTAと共に、受験対策や学校行事を支援する団体だ。

 東高は県内屈指の進学校だが、東大合格者は二十年代半ばから減少し、二十八年度には現役東大合格者がゼロ。教員はもちろん、保護者の間に強い危機感が走った。学校が能力別クラス編成に踏み切るなどばん回策を講じる一方で、PTA役員だった林輝彦(大9卒、故人)、佐藤英一(故人)、岩崎亀(大6卒、故人)らは三十年十二月、進学対策委員会を立ち上げた。

 当時、林の息子・茂樹(昭32卒)、岩崎の息子・民雄(同)らは、教員有志が指導する放課後の補講塾「温習会」に通っていた。茂樹は「この塾でのつながりが委員会の母体になったのだろう」と推測する。

 学校任せにするのではなく、進学状況を改善しようとした委員会は早速、静岡大教授らを招き、十二月二十七日から翌年一月八日まで元旦を除く毎日、冬期講習会を開いた。春休みも新二、三年生を対象に、駿台予備校の講師らが十日間講習を行った。

 三十一年九月のPTA総会で、委員会は有志の会からPTA全員を会員とすることが決まった。また「振学対策委員会」と改称し、受験対策と共に人間教育を重視する姿勢をより明確にした。

 三十二年から始まった高原、海浜教室や準備段階として前年に行った須走・大沢での特別教室を支援。井上靖(大15卒、故人)、芹沢光治良(大4卒、故人)ら同窓生のほか、朝永振一郎、植村直己ら著名人を招く講演会を行った。佐藤は冊子「振学十年」の中で「即効薬のように直ぐ目に見える効果は現れなくとも、何時の日にかどこかで生徒の人間造成に役立っていることを確信する」と強調した。

 受験対策と学校行事のいずれにも偏らず、両輪で走ろうとする振対の理念は今も変わらない。高原教室、海浜教室などの行事を支援し、秋には講演会を主催するなどして、東高生を支えている。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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