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昭和四十二年の校舎移転にあわせ、香貫の樹木も引っ越した。「岡宮へ持って行ったのは思い出のある木。ヤマモモはおかしなところへ植えたくなかった」と植樹を指導した造園業佐野広(昭17卒)の言葉に力がこもる。ヤマモモは創立当初からあり、沼中・東高のシンボル的存在。学生広場に移植され、今も枝葉を広げている。 当時の教員で後に校長を務めた五月女武は「茶畑や草木のない土地が広がるばかり」と移転時の岡宮を語る。砂ぼこりを少しでも和らげようと、休み時間のたびに水をまく教員の姿が香陵祭のハリボテで登場したこともあった。
「香陵逍遥の杜」は、移転から十九年が過ぎた昭和六十一年にできた。初のOB校長武田義諦(昭19卒)が通学路だった狩野川の眺めを思い、学校に潤いを求めて庭園づくりを提案した。 移転時の校舎配置設計を担当した東吾一(昭19卒)と佐野を相談役に迎えて前年の夏、作業が始まった。天城の山々に見立てた岩から「狩野川」が流れ出し、「駿河湾」へと注ぎ込む。生徒が汗を流して、香陵を取り囲む自然を再現した。 移植当時、一番大きかったヤマモモが小さく見えるほど、木々は育った。「生徒は植樹も庭園づくりも、本当によくやった。川の浸食を防ぐ蛇かごの置き場所や、石は安定させて据えることなど、一つ一つを若い人に教えることが楽しかった」と佐野。新天地は香貫の伝統を受け継ぎながら、姿を整えていった。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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