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第2部 輝く

大賀 典雄
(ソニー取締役会議長)

世界駆け回る"音楽家"

「白砂青松の千本松原は美しかった」と沼津時代を語る大賀典雄ソニー取締役会議長=東京のソニー本社
 昭和三十六年、広島でのオペラ公演の舞台で大賀典雄(昭24卒)は大失敗を演じた。ソニー取締役の大賀はテープレコーダー納入の商談をまとめ、そのままオペラ会場へ。「フィガロの結婚」の伯爵役で三幕目まで無事終わり、ステージ横で次の出番を待つ間に、昼間の仕事の疲れからうつらうつらしてしまった。気付いた時は自分の曲が流れ始め、一瞬舞台に出るのが遅れた。「もう二足のわらじは履けない」。この公演を最後に音楽家の道をあきらめた。

 大賀は材木輸入商の裕福な家庭に生まれ、沼津市千本で育った。物心ついた時、既にピアノを弾いていた。近所には東大で電気を学んだ岩井産業の岩井一郎(故人)がいて、機械好きだった大賀少年に電気の配線図や数学、物理を教えた。クラシックの楽しさやオーケストラの総譜の見方を教えたのも岩井だった。

 子供のころから「声がいい」と言われた。沼中に進むと声楽家を目指し、毎週往復十時間をかけ東京にレッスンに通った。ノートは級友の大岡信(詩人)がとってくれた。「授業を休んでも怒られることはなく、当時の沼中は自由な雰囲気だった」。

 ソニーとの出会いは東京芸大時代。大学がテープレコーダーを購入する際、町工場だったソニーの前身「東京通信工業」に出入りし、注文をつけた。技術に詳しい点を創業者の井深大、盛田昭夫に見込まれる。しかし、大賀は声楽家を目指していた。

 ドイツ・ベルリン国立芸術大に留学し、帰国後はバリトン歌手として舞台で活躍していたが、盛田の熱心な誘いで二十九歳の時に第二製造部長で入社、三十四歳で取締役。その後、CBS・ソニーレコード(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)社長、ソニー副社長を経て、社長、会長を務めた。この間、ウォークマンやCD、MD、プレイステーションなどのヒット商品を次々と送り出した。

 「社長になるつもりはなかったが、私を育ててくれた盛田さん、井深さんに応えたかった。ソニーを世界の一流企業にしたかった。入社当時、年長の技術者と対等に話せたのは沼津時代の岩井さんのお陰」と振り返る。還暦祝いでオーケストラを指揮し、再び音楽家の道を歩み始めた。経団連副会長を務めながら、七十一歳になった今でも自らジェット機を操縦して世界を駆け回る。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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