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三共に入社後、薬の原材料を調達する購買部に所属し、秘書室長や総務部長など主に管理部門を歩いた。営業経験はないが、購買部の九年間で資材を仕入れながらセールスの側も学んだ。「経験しても心を込めて経験しなくてはダメ。経験しなくても気持ちを十分察知すれば経験以上のことを理解できる」 三島市佐野の農家の三男に生まれた高藤は沼中に入って感動した。担任教師から「君たちは大人の仲間入りをした。自分自身に責任を持ってもらいたい」と言われたからだ。沼中生の誇りは持っていたが、教師から一人前の扱いを受け、“家柄”が違う級友とも胸襟を開いてつき合える自由な雰囲気に魅了された。「勉強も自己勉学が中心で、教師からああしろ、こうしろなど指図はなかった」 農作業で鍛えた腕力には自信があり、戦後、柔・剣道が禁止されると、仲間と相撲部を創設。初出場した県大会で優勝をさらった。夏休みには農耕馬を調達し、級友の矢部利治(元マキヤ社長、故人)と馬にまたがり、箱根峠を越えて芦ノ湖へキャンプに出掛けた。 東京高等農林(現東京農工大)に進学したが、慶応大に進んだ矢部に誘われて二年で慶応に編入。三共三島工場の誘致運動に携わった父親(元三島市議会議長)に勧められ三共に入社した。「卒業時にたまたま三島工場が開設されたのが縁。製薬業に夢と希望をもって入った訳ではない」と笑う。 沼中の同級生については「今でも顔を見れば即座に名前が分かり、名前が出れば顔を思い出せる」という。「感性に敏感な中学時代は物の考えや人間形成が固まる大切な時期。大学での思い出は薄いが、沼中での級友との出会いは貴重な財産。沼中の五年間は人生そのもの」と力を込めた。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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