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人工弁を作りたい一心で、鈴木は同社を訪ねる。「社長に会いたい、布を分けてほしい」と頼み込む。社長は鈴木の願いにこたえ、三枚の布地を無料で譲った。「見ず知らずの日本の一青年に会い、話を聞いてくれるとは」。度量の大きさに胸が熱くなった。昭和三十五年、デュポンの布を使った人工弁の開発に成功し、鈴木の名は全米を駆けめぐった。 東京医科歯科大を卒業した鈴木は、東京米国陸軍病院にインターンで入る。優秀なスタッフに最新鋭の設備。臨床医学の最先端国が誇る技術力を目の当たりにし、留学の夢を抱いた。念願かなってニューヨーク州アルバニイ医科大学外科に留学。オハイオ州クリーブランド市セントヴィンセントチャリティー病院で人工弁の研究に取り組んだ。 沼中で野口英世の伝記を読んで医者に憧れ、海外を目指す体力、基礎学力、精神力を培った。進んだ道は臨床医学。「明治以来、人種の壁で日本人を寄せつけなかった臨床医学への挑戦」と自らを奮い立たせた。 鈴木は「米国人の医者が一日一回、回診するところを、三、四回は回った」と懸命だった。一方で、そんな姿を認めて仕事を任せてくれる教授の寛容さや、必要な人材には滞在の優先権をためらわず与える政府に、米国の懐の深さを感じた。 平成七年から母校の東京医科歯科大学長を務める。「本校には教養部が残っている。高校時代、何のための物理や数学かと思ったが、人工弁の研究で非常に役に立った」と広い教養に裏付けられた専門性が必要なことを強調する。さらに「五、六年の意欲的な生徒が、米学生と一緒に勉強できるシステムを作りたい」。日米交流の準備にも力を注ぐ。 漫画家手塚治虫の代表作「ブラック・ジャック」に、難手術を成し遂げた医師として登場する鈴木。臨床医の心得として「まずは患者への態度。次に技術、それに見合った知識」と人間性を基本に据える。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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