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第2部 輝く

山田雄一
(明治大学長)

漱石に出会い心理学へ

「県民の気質はのんびりが東部、おっとりが中部。微妙に違いますね」と分析する山田雄一さん=東京・明治大
 小学生のころから模型飛行機作りに明け暮れ、沼中でも「科学兵器を作って日本を戦に勝たせたい」と夢見ていた山田雄一(昭22修)。終戦後、学校再開まで文学書を読みふけり、夏目漱石の『夢十夜』に「人間にはいろいろな可能性がある」と衝撃を受けた。物への関心が人へと移り、心理学の専門家への一歩を踏み出した。

 一高進学は、担任の教員根上為守(故人)の“脅し”めいた言葉で決めた。病気で休みがちのまま迎えた中学四年の三学期。根上は「このままでは現級止まり。上級学校に受かれば四年修了扱いにする」と伝え、山田に一高受験を勧めた。「きっと落ちると答えたら『試験は落ちるものだ』と笑い飛ばされた。気が楽になって合格」と屈託ない。

 心理学と言えば知覚や学習が中心だった時代。東京大に進学した山田は、宮城音弥東京工業大教授(当時)の精神分析学の講義を聞き、「人間存在そのものに迫る学問だ」と新鮮な感動を覚えた。卒業後は人事院事務官を振り出しに、富士製鉄(現新日本製鉄)、茨城大、明治大と産官学を渡り歩いた。

 平成十二年から明治大学長を務める。創立百二十年を迎えた同大のキーワードが「個を強くする」。「情報化という正の遺産の半面、心の結びつきがずたずたになった」と二十世紀からの脱却を試みる。「行動主体としての個を、それぞれがしっかり持つ。強い個が連なる共同体の再生は明大の使命」と力を込めて言い切った。

 情報化は積極的に取り入れている。十六年には情報コミュニケーション学部の新設を予定。山田は「情報自体はいわば霞(かすみ)。行き着く先は人や物」と位置づけ、物流や交通の便から都心型にこだわる。駿河台キャンパスにそびえる地上二十三階建ての校舎リバティタワーは「都心型大学のシンボル」だ。

 組織の人間の心理、行動を考察し続けた山田には、人事や組織論をテーマにした著作が多い。「社長などの肩書きは、しょせん外から張り付けられたもの。それがはがれた時、なお自分だと思えるものが個性。何をすべきか、何ができるかを自問自答しながら生きていけたら一番いい。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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