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一般公開が始まると、パンダ舎の前は家族連れらの長い列。翌年の入園者は八百八十万人に達し、一挙に約三百万人も増えた。お目当てのパンダに便乗した土産品も登場するなど上野の復活を印象づけた。だが、このジャイアントパンダは日中国交正常化の証(あかし)としての政治的な来園。田代らは「何かあっては大変」と神経を張りつめる日々を送った。 その後、田代は多摩動物公園、井の頭自然文化園を経て、飼育課長として上野に戻る。待っていたのがフェイフェイとホァンホァン。世界的にも成功例が少ない人工繁殖への挑戦だ。三回成功し、トントンとユウユウが無事に育った。「ホァンホァンは面倒見が良く、フェイフェイはおとなしい父親」と両親にも恵まれた。 七頭のパンダとかかわってきたが、「パンダ飼育は総合力が勝負。いじり回しても良くない」と難しさを語る。 田代は最後の沼中生である四十七回生。「東高も知っているが、特に面白かったのは旧制時代」と個性的な友人と過ごした沼中を懐かしむ。沼津市原の実家は豚、鶏、犬、馬など多くの動物を飼っていた。豊かな自然や飼育動物が、田代の自然科学への興味をはぐくんだ。 東大農学部を卒業した後、都衛生局へ。動物園勤務は昭和四十一年、上野から。獣医として配属されたが、最初の仕事は動物の世話。職人気質の飼育係のやり方を見よう見まねで覚えた。一年後に獣医室に移り、治療や解剖、海外から来た動物の検疫と息つく暇もなかったが、「毎日が新鮮で楽しかった」。 平成二年から上野動物園長を務め、四年に退任。「動物園は絶滅にひんする動物を保護し、実物を見て背景にある自然の状態を知るきっかけを作ること。環境問題への関心を呼び起こす場所が動物園ではないか」と新たな役割を期待する。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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