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原田は、大手都銀の経営危機をリアルに描いたヒット作「金融腐食列島 呪縛」で国内の監督賞や作品賞を受け、映画監督としての地歩を固めた。しかし映画は興行の世界。さまざまな制約が伴い、半年で仕上げることも求められる。 「米国なら企画や脚本が通れば、準備に時間を掛け、やりたいものが撮れる」と言い切る原田は米国にも居がある。「アジアブームであり、アジアの監督を欲している」というしたたかな読みが潜む。 生家は沼津市大手町にあった旅館「みや古」。散歩の距離に映画館がいくつもある。祖父に連れられて行ったり、宿泊したロケ隊の縁で京都の撮影所をのぞくことも。「スクリーンの表と裏を見て映画の魔法にかかった。三つ子の魂百までもです」と屈託がない。 中学時代は映画研究会に加わり、東高一年の秋からは映画ノートを付け始める。ノートはA4判、高校一年の秋から十五年余り続いた。鑑賞記のほか、ABCの三ランクで評価した。「封切が待てなかったり、沼津で見られないとなると、バイクで静岡へ。東京へも出掛けた」。年間二百本は見た。「時代劇なら大川橋蔵を主役に、こんなキャストにストーリーでとイメージを膨らませていた」。 フリーランスで活動し、映画評論との二足のわらじが長い。米国には二十四歳で住み始め、ハリウッドや映画に関する記事を送った。今も行き来する。 デビュー作は二十九歳の時に撮った川谷拓三や浅野温子が出演する「さらば映画の友」。狂気の映画ファンと十七歳の主人公の友情に、女性を絡めたストーリー。全編が沼津ロケで、「十九歳のころの自分が下敷き」。巨匠ハワード・ホークスへの敬意も込めた。「二十三歳の息子を使って作り直してみたい」と思うほどこだわりを持つ。 柔道部員の原田は狩野川に架かる三枚橋を高歯の下駄で通学した。昨年、東京・隅田川のほとりの月島に居を構えた。「川の流れている街だとどこか落ち着くんだよね」。映画の虚実、場面転換と、川を渡る行為には相通ずるものがあるようだ。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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