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電通社員だった佐藤は昭和六十二年、同社のクリエーティブ局に移り、CMプランナーに。三十一歳でゼロからのスタートを切った“異色の新人”は、湖池屋の「ドンタコス」「ポリンキー」をはじめ数々のCMを手掛け、広告界の寵(ちょう)児的存在となった。 「作り方を作る」ことにこだわる。「CMとは何か、何が目的か」といった根本に戻り、目的実現のために有効な方法を一から考え出すのが佐藤の手法だ。出来たCMは思いがけず、昭和三十年代のものにそっくり。「根源的な姿勢になると、力強くて独特なものができる」と原点の“新しさ”を確信した。 平成十一年から慶応大教授に。佐藤が「一番自分の未来だと信じている」と取り組むのが「数理と概念」。イメージを数学の“言葉”で説明する試みだ。「ゼロからのスタートだが、ある方法が有効で独自なものではないかと思っている」とすでに手ごたえを得ている。 佐藤は東高で数学のとりこになった。「チョーク一本、教科書だけで数学が厳密できれいなものだと教えてくれた」と教員杉原浜男の授業で、初めて本気で向き合うものを見つけた。 戸田村出身の佐藤は下宿組。初めての一人暮らしは「寂しい、楽しい、頑張らなくちゃという気持ちが入り乱れた」。厳しい地区会や応援歌練習は「大人になる第一歩はこれぐらい厳しくないと」と納得して参加。「楽しかったし試練の場だった」。東高の生徒手帳は仕事場の机の引き出しにある。 「だれとも競争している感じじゃない」と一番ではなく“唯一”を意識する。「みんなが大好きになり、普遍性を持つのがオンリーワン」。それだけに口先だけの“個性”を戒める。「個性や自由が大切なのは当たり前。わざわざ声高に言っても、新しいものは生まれてこない」
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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