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同窓会が中心になって建設を計画、平成五年に完成した。館内の壁面に飾ったプレートには、建設資金を寄付した同窓生の名が連なる。建設委員会副委員長を務めた梶原亨(昭19卒)は「記念館は同窓生の力の結集。いいものが出来たと思う」と当時を語る。 記念館は延べ床面積約千七百平方メートル。斜面に建つため一、二階が入り口となる。設計にあたった東吾一(昭19卒)は「裏手の『香陵逍遥の杜』を生かし、館内から緑が見えることを基本に設計を組み立てた」と話す。 図書館建設は同窓生の長年の夢。明治四十五年からは行啓記念館、終戦後の香貫には図書数や施設の充実などで「全国一」を誇る図書館があった。しかし移転後は、独立した施設がなく、校舎の一室が充てられた。当時の校長長藤利夫は「図書館が出来てこそ移転は完了する。そんな熱気が同窓生の中にあった」と思い起こす。 平成元年、庄司辰雄(昭9卒、故人)が第九代同窓会長に就くと、建設案は一気に具体化した。翌年には同窓会、奨学会、振学対策委員会、PTA、学校の五者協力体制が整い、建設委員会が発足。建設、募金、連絡調整の三部会に分かれて事業を進めた。 学校側は五億円で基本設計を固めたが、同窓会がより充実した施設を求めて白紙に。東を中心に同窓生建築家らがあらためて設計図をかき、予算総額は約七億五千万円になった。寄付と奨学会の土地を一部売却した費用で建設費を捻出した。五年六月三十日付け「香陵同窓会報」によると、同窓会員五千二百二十人、法人企業八十社、職員を含む一般の協力者百二十四人の寄付で総額八億七百十七万円が集まり、予想を大きく超えた。 記念館前には井上靖(大15卒、故人)芹沢光治良(大4卒、故人)大岡信(昭22修)長倉三郎(昭13卒)の碑、北側には香貫時代の正門だった石柱が立ち、東高生を見守る。梶原は「勉学の殿堂としてどんどん利用し、人間教育の中心的な場所として活用してほしい」と期待を寄せる。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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