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任期中に岩崎は、校舎移転という大きな節目を迎える。校長望月庄次郎(故人)や同窓生らと共に、移転先候補地の視察や用地取得に奔走した。 移転後、同窓会はプールと生徒集会場「香陵会館」の建設を計画。プールは四十四年二月に完成し、会館は四十七年五月に落成式を行った。会館は鉄骨造り二階建てで延べ七百六十三平方メートル。総工費二千七百万円。一階は食堂、二階は宿泊室で、現在も合宿所として親しまれている。 六代井上俊夫(大6卒、故人)は富士川製紙社長。四十八年の就任直後から、同窓会は「沼中東高八十年史」の編さんに取りかかった。翌年五月には「香陵同窓会報」創刊号を発行。井上は「人的物的調和のとれたすばらしい教育環境の具現を考えてみたい」と抱負を寄せた。 七代井上章久(昭9卒、故人)は沼津朝日社長。井上俊夫を副会長として支えた後、会長を務めた。 八代宇野紳七郎(昭12卒)は五十八年から。「香貫に沼中・東高の跡を残したい」の願いを形にしようと奮起した同窓会は、六十一年に校歌を刻んだ跡碑を、六十三年に井上靖(大15卒、故人)芹沢光治良(大4卒、故人)の文学碑を校舎跡地の沼津市民文化センターに建てた。「各地区の香陵会に寄付を呼び掛けたら、予算の四百五十万円はすぐに集まった」と宇野は同窓生の結束を思い起こす。「井上、芹沢両先生の自宅を訪ね、碑文のお願いもした」と大先輩との交流も忘れられない。 宇野は桃中軒会長。県選挙管理委員長をはじめ県自動車学園理事長など多くの要職をこなしてきた。沼中二年から所属したボート部は、「心身ともに鍛えられた」と思い出深い。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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