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第3部 支える

歴代校長(上)

「自由闊達」をはぐくむ
 明治三十四年、初代校長となった堤敬太郎(故人)は、創立当初の環境整備に力を尽くすが、二年足らずで休職する。堤の後を引き継いだ落合寅平(同)は、江原素六や新渡戸稲造を講師に招き、生徒や市民を対象に講演会を開いた。自由闊達(かったつ)な校風は、落合の教育理念を反映したものと言われる。

 砂崎徳三(同)は人格形成を教育目標とするが、軍国主義が台頭した時代でもあり、生徒は同盟休校で反発を表すこともあった。行啓記念館の建設や校旗・校歌の制定など沼中を特徴づける出来事も多い。

 昭和十六年からの十年間は芝順照(同)。「焼け落ちる校舎に最後まで残っていた」「“得意冷然 失意泰然”と集会のたびに諭した言葉が今も胸に残る」など芝の姿は同窓生に印象深い。戦局を見通して図書を疎開させ、戦後は図書館整備に力を入れた。元県教育長の芝健(昭22卒)は順照の息子。

 望月庄次郎(故人)は校舎移転の準備に奔走した。昼は校長職をこなし、夜は地主回りに靴底をすり減らした。「“教員は生徒の教育に全力を注ぐべきだ”と移転にまつわる話を明かさなかった」と当時の教員は語る。

 杉田克己は「進学一辺倒の学校に思われがちだが、人間教育を何より大切にしていた」と振り返る。渡辺悦郎は教員、教頭を東高で務め、三度目の着任となった。

 八十周年は佐藤実が迎えた。東高で教員を経験した佐藤は「香貫のころは、校外に食事に出かけた生徒を追いかけ回した」と懐かしむ。鈴木清見はテニスコートや部室棟「翔陽館」の整備に力を注いだ。現富士市長の鈴木は「自主独立の気風に満ちた独特の個性があった」と魅力を語る。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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