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第3部 支える

名物教師

"静"の千寸,"動"の吉見

「明治生まれの父だが男女同権、人間平等に徹していた」と振り返る前田薫さん=熱海市咲見町
 沼中生の思い出話には、図画、国漢の教員前田千寸(故人)の名がついて回る。飄々とした風ぼうと穏やかな気性、古代史や美術を語る口調に魅了された生徒は多い。芹沢光治良(大4卒、故人)の代表作「人間の運命」、井上靖(大15卒、故人)の小説「黯(くろ)い潮」には千寸をモデルにした人物が登場する。

 千寸のもう一つの顔が古代染色研究家。昭和三十五年に出版した「日本色彩文化史」(岩波書店)は、古代染色を文化史として体系づけた名著とされる。出版直後の十月、半生をかけた大作の完成を見届けるかのように、千寸は息を引き取った。

 息子の薫(昭6卒)は台所のなべ、かまで染色の実験に没頭する千寸の後ろ姿を見て育った。「一合ばかりの晩酌の後で書斎にこもり、十二時ごろまで文献を読んでメモをとる。そういう生活が一日も欠かさず続いた」

 大正元年から沼中に勤めた千寸は、昭和七年から嘱託となる。研究を経済的に支えようと同窓生らは「頒布会」を作り、千寸の絵を売って研究資金を確保した。薫は「同窓生に支えられた研究だった」と感謝する。

 物静かな千寸と対照的に、情熱的だったのが石内吉見(大12修、故人)。昭和十四年から沼中で教壇に立ち、二十九年から三十二年まで教頭。四十二年の定年後も講師として教えた。振学対策委員会、高原・海浜教室、「若人の家」建設など昭和三十年代の東高の新しい試みの裏には、いつも吉見の姿がある。校舎移転後も率先して植樹作業に力を注いだ。

 当時の校長杉田克己らが四十八年に刊行した「石内吉見先生遺稿集」には、「香陵」や石内が顧問を務めた生物部、ボート部の部報などに寄せた手記をはじめ、吉見が作詩した沼東名物「ヨンヤ節」などが残る。杉田は「新しい時代に燃える東高の先頭に立っていた」と若手教員らをひき付けた吉見をしのぶ。

 吉見の兄・直太郎(大9修、故人)も十四年から二十一年まで教員を務めた後、初代の沼津市立高校長となった。直太郎の授業で「生物への興味をかき立てられた」と振り返る生徒は多い。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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