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戦前、東京・東中野にあった芹沢の自宅は一高生の集うサロンだった。たびたび芹沢家に足を運んだ崎田隆夫(昭13卒)は、「初めは沼中出身の一高生五、六人で先生の家に遊びに行っていた」ときっかけを回想する。 芹沢は当時、少女雑誌を中心に作品を発表しており、崎田らも気負いなく訪問した。文学はもちろん政治、経済と幅広い教養を持つ芹沢に、尊敬の念を深めていく。「ファシズムへの不満なども口にし合った。外部にもれたら大変」と崎田は笑う。「話がうまくて聞きほれた。温厚で粘り強い素晴らしい方だった」。 昭和四十年から第五代日本ペンクラブ会長を務めた芹沢の代表作が自伝的小説「人間の運命」。芹沢の分身とも言える主人公・森次郎を中心に、明治、大正、昭和を生きる人々を描いた全十四巻の長編。芹沢は依頼原稿をすべて断り、三十七年から六年間、書き下ろしで刊行した。 芹沢は明治二十九年、楊原村我入道(沼津市)の網元の家に生まれた。父親が信仰のために全財産をなげうち、生活は苦しかった。漁村の少年は小学校を出ると漁師になるのが不文律。沼中に進んだ芹沢に、周りからの風当たりは強かった。 しかし、芹沢は沼中で文学と出会った。教員前田千寸の家で初めて「白樺」「ホトトギス」を読み、詩人になった橋爪健(大4卒、故人)らと回覧誌を作った。「学友会報」には毎年のように短歌や散文を寄せた。 大作に取り掛かる数年前の昭和二十九年、芹沢は東高で講演した。「今までの仕事は私が死ねば消え去ってしまうもの。次は死んだ後も残る作品を書きたい」と決意を表し、主人公を芹沢自身にする構想も明かしている。芹沢・井上文学館の館長を務めた伝田朴也は「『人間の運命』を書くこと自体、芹沢先生の精神的なふるさと回帰だったのでは」と推察する。 「人間の運命」の冒頭で、中学二年の主人公は写生の授業で香貫山に登る。初めて見下ろした沼津は見知らぬ町のように美しかった。「こんなにも川幅が広く、まんまんと水を張っているとは知らなかった」と狩野川をたたえ、静かなたたずまいの故郷を息をのんで見つめている。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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