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第4部 創る

井上 靖

周囲圧倒した“作家魂”

図書館屋上での記念撮影(中央が井上靖さん、後列右から2人目が中村義雄さん)


直筆の詩を前に思い出を語る星野重雄さん=沼津市山王台
平成三年一月、高熱で苦しむ井上靖(大15卒、故人)の元に星野重雄(同卒)は駆け付けた。入院をしぶる井上に、星野は「思い切って入院した方がいい。点滴を打てば一週間程で熱もひくし、沼津にも行ける」とすすめた。井上は東京・世田谷の自宅から築地の国立がんセンターへ救急車で運ばれ、一週間後に息を引き取った。

 井上の長女・浦城幾世と救急車に同乗した星野は、世田谷の川に差し掛かった時、「この川をちゃんと調べていないな」とつぶやいた井上の一言に“作家の魂”を見た。

 沼中時代をモデルにした小説「夏草冬濤(なみ)」。藤井寿雄(同卒、故人)や岐部豪治(大14卒、故人)金井広(大15卒)といった“悪友”との出会い、文学への目覚めに筆が躍る。「沼中の楽しい思い出話は何度も父から聞かされた」と浦城は語る。

 「井上君は小柄で目立たなかった」と星野。二年で浜松一中から転校してきた井上は、無口でどこか冷めた目をしていた。戦後、藤井らが立ち上げた同期の集まり「ノコ会」で星野は井上との友情を深めた。

 毎日新聞社に勤めた井上は、昭和二十五年に「闘牛」で芥川賞を受賞する。以後、せきを切ったように文芸誌や新聞に作品を発表した。星野は「雑誌が出る前に、書きたての小説について次から次へと話す姿は“語り部”そのもの」と無口な少年の変ぼうに驚いた。

 井上は講演などで東高を数回訪れ、文芸部の冊子に手記を寄せるなど後輩とも触れ合った。

 昭和二十八年、新聞部の部長中村義雄(昭30卒)は、講演後の井上を完成したばかりの独立図書館に案内し、屋上で記念撮影した。後に中村はNHKで番組制作を手掛け、今度は仕事で井上に接した。「机にインクつぼを立ててまっさらな原稿用紙に向かうと、邪念が飛んで心が躍る」。書くことに憑(つ)かれたように井上が繰り返す言葉に圧倒された。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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