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「浜の観音さん」の名で親しまれる沼津市千本の長谷寺に納められた大曼陀羅は、六百―七百年前、船主らが航海の安全を願い、無事に帰還した際に観音像を描いた帆を奉納したのが始まり。明治八年に描かれた当時の大曼陀羅は、傷みが激しく修復が難しかったため、復元することになった。 寺と沼津市から依頼を受けた志賀は、「古い大曼陀羅を踏まえた上で、独自のものを描きたい」と創作意欲に突き動かされた。長谷寺に通い詰めて“研究”する一方で、県外の寺院にも足を延ばし、新しい観音像を作り上げた。 書き直しができない巨大な白布が、緊張感をあおった。約七カ月の制作期間に使った墨汁は下図に三リットル、本描き用に十一リットル。旦山会をはじめ、延べ千人を超える人たちが制作を手伝った。「普通の絵とは違った大変さがあった。画家としての一番大きな仕事。みんなが手を合わせてくれるのがありがたい」と大作を振り返る。 志賀は昭和九年に東京美術学校を卒業し、二十年五月から十三年間、沼中で絵を教えた。図書館整備にも尽力し、三十三年から県立中央図書館で葵文庫課長を務めるが、「どんな時も絵が一番」と筆は持ち続けた。 画家であると同時に、「大勢の人に日本画を知ってもらいたい。絵を通じて文化を広めたい」と指導者的立場を忘れない。二十一年に発足した静流会で、志賀は今も顧問を続ける。「自分の絵がうまくないと教わる側は納得しない。勉強し続けなくては」と九十歳を過ぎた今も意気盛んだ。 沼津市庄司美術館では今、志賀の歩みを振り返る企画展が開かれ、スケッチや画材、趣味の八ミリ撮影や図書館整備での功績も作品と併せて紹介している。企画したNPO沼津文化協会理事長の荻生昌平(昭27卒)は、志賀の教え子の一人。「志賀先生は沼津の文化活動に長くかかわってきた。絵の裏側の世界の広がりを見てもらえれば」と恩師を語る。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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