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昭和二十四年七月、自治会綱領の改正をめぐって生徒大会が開催された。改正案は代議、司法の両委員会に加えて執行委員会を設置する“三権分立”制をうたい、生徒大会を代議員会の諮問機関として位置づけることなどを盛り込んでいた。五、六月の代議委員会を通過し、生徒大会で全校生徒の五分の三を超える賛成を得れば成立する見通しだった。 だが、生徒大会は混乱を極めた。七月二十日付け「沼津東高新聞」は、最初の生徒の質問をきっかけに「質問や野次が噴出し、高調するに及んで怒声もまじり始めた」と大会の様子を伝える。議長は「大会の運営は困難」と判断し、閉会を宣言した。 代議員の石川悌二(昭25卒)は“三権分立”制の導入にかかわった。「試行された直後の日本国憲法の影響があったのだろう。東京の学校の生徒会も見学に行った」ときっかけを振り返る。生徒大会は紛糾したが、全校生徒による記名投票で改正案は可決され、現在まで続く自治会の基礎が固まった。 「百年史」によると、自治会は昭和二十一年一月には組織化されている。辻村孝四郎(昭22卒)や市川寿(同卒、故人)らが発足に関わり、辻村は同年度の自治委員長を務めた。 戦後の混乱の中で、民主主義の息吹を、沼中生も肌で感じていた。辻村は「これからの学校生活に、自治的な組織が必要になると気付いたのだと思う。弁論部の友人を中心に七、八人で立ち上げたのではないか」と思い起こす。 生徒らは手探りしながら、活気ある自治活動を求めた。辻村は「中学自治連合会を作ろうと県東部の学校に呼び掛けた。連絡会は何度か開いたが実現しなかった」と思い出す。「活発に議論したが、やじもすごかった」と石川。「混乱期だったが自由で、先生もほとんど干渉しなかった。何かを作ろうという気分に満ちていた」と二人は口をそろえた。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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