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第5部 続・歩み

校 歌

理想求め熱情高らかに
校歌が刻まれた橋爪家の墓碑=沼津市中瀬町
 沼中、東高を通じて歌い継がれる校歌。入学直後の対面式、香陵祭の後夜祭など学校生活の節目はもちろん、同窓生が集えば自然に口をついて出るのが懐かしいメロディーだ。

 校歌は創立二十周年を記念して作られ、式典で正式に披露された。橋爪健(大4卒、故人)が作詞し、静岡師範学校教諭の原田彦四郎が作曲した。

 橋爪は、沼中時代から芹沢光治良(同)らと同人誌を創刊するなど文学に傾倒した。卒業後に進んだ一高、東大法科でも詩作にふける。大正十一年に初の詩集「合掌の春」を出し、詩人として知られるようになった。昭和二年、自ら創刊した「文芸公論」で新感覚派の詩人らの作品を取り上げたほか、橋爪自身も小説、評論を書いた。菊池寛を批判したことがきっかけで、文壇から遠ざけられた逸話が残る。

 沼津市営墓地にある橋爪家の墓碑には、校歌の詞が刻まれている。「嗚呼(ああ)昧爽(まいそう)の星の影 函嶺赤く映ゆる時」と明け方の美しい情景に、「我が同胞(はらから)の自治の里」と母校への思いを重ね合わせた一番から、「高歌はずや栄の歌」と力強く繰り返す五番まで、理想を求める若者の高揚感に満ちている。

 橋爪が校歌を作詞したのは一高在学中の大正九年。橋爪は「香陵」六十周年記念号に寄せた一文「校歌の思い出」で、教員前田千寸から作詞の依頼を受けたことを明かす。同年に「春甦るときのために」と題した一高の寮歌を作った橋爪は、「寮歌を作るコツで一生懸命書き上げた」一方で、「できるだけ柔らかな抒情味を加えるようにしたつもり」と中学にふさわしい歌づくりに心砕いたことを述懐する。

 作曲者の原田は山口県出身。静岡市内の女学校などで音楽を教えた。大正十二年、修善寺町制の施行を記念した「修善寺町の歌」を作曲しているが、沼中との直接の関わりについては分かっていない。

 戦争の影響で詞の一部分が削除されたり、校歌そのものが変わる学校もあるが、東高は三番の「岳南に五年の」が新学制とともに「三年の」に変えられた程度で、ほぼ原型のまま歌い継がれている。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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