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第5部 続・歩み

校旗・校章

受け継ぐ「矢羽」の精神
大正14年に作られた沼中校章(右)と東高の校章
沼中の1号旗
 校旗は校歌と共に、大正九年の創立二十周年記念式典でお披露目された。「沼中」の二文字をハート型に図案化し、深い紫地に白く染め抜いた。「一号旗」と呼ばれるこの旗は、父兄の安生慶三郎が寄贈し、教員前田千寸がデザインした。

 前田は紫色に、沼中生としての品性、情操の理想を託した。古代色彩の研究に半生をかけた前田は紫色に関心があった。赤と青を混ぜ合わせて生まれる紫色に、温と寒といった反対の性質を含みながら、どちらにも偏らない温和さ、高貴さを見いだしていた。

 校旗は昭和五年、天皇陛下の行幸をきっかけに創立三十周年事業として作り直される。地の色は「一号旗」の紫色を受け継ぎ、大正十四年に作製された矢羽型の校章を描いた。

 従来、県内の中学は「中学」の文字を縦に並べた同じ校章、帽章を使っていた。しかし「生徒がどの学校に所属しているのか区別出来ない」との声が各校の校長から上がり、大正十四年から学校ごとの校章、帽章が作成された。

 矢羽型の校章について、前田は「沼中の校旗」と題した一文を「香陵」四十九号に寄せている。矢羽について「正しい理性に導かれた強靱(じん)な意志力を以て目的に向かって、勇往邁進し、目的を貫徹しなければ止まぬという精神力を意味する」と説明している。

 昭和二十四年、東高への移行に伴い、校章は再び作り直される。生徒からデザインを募り、美術部長の森川正造(昭25卒)の作品が採用された。森川は「卒業生の頭に残っているのは矢羽のはず。これをなくしては東高ではない」と矢羽型の基本デザインを受け継ぎ、「沼」の上に「高」の字を重ねた。「石こうで試作した。試行錯誤を繰り返したが、結局、伝統を受け継ぐデザインに落ち着いた。一時期、校章が瀬戸物だった時期があったが、これをきっかけにブリキになったのでは」と記憶をたどる。

 校旗も新しくなった。理由は定かではないが「百年史」によると、二十七年に当時の応援団長が代議員会に出席し、校旗製作を提案した。同会で承認し、予算二万円での作製を決めたが、学校側が「どうせなら良いものを」と予算を十万円に引き上げた。この時も前田に図案の作製を依頼した。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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