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昭和二十四年に男女共学制が始まり、翌年には女子の制服が決まった。上衣はブレザーでダブルの六つボタン、スカートは箱ひだが二つ、色は紺か黒色というもの。上級生が呼び掛け、一年生女子の有志を中心に服装委員会が発足した。放課後は額を寄せ合い、デザイン画を描いた。 当時の女子校はセーラー服が主流。「ひと味違うデザインを」とブレザー型の上衣にすることで意見が一致した。委員の内田宜子(昭27卒)は「ブレザーの襟にはこだわった。ダブルに合わせることを考えて、普通のテーラードカラーとは少し形が違うものを提案した」と思い入れを語る。教員大古田久子(故人)が生徒らの相談に乗った。内田は「おしゃれな先生できちんとスーツを着こなしていた。ハイヒールのコツコツという音を響かせながら、廊下を歩く姿が印象的だった」と振り返る。 内田らの卒業後、制服が作製された。委員らにデザインのアイデアを提案した酒井節子(昭28卒、旧姓加藤)は、イメージ通りの出来栄えに感激した。「理知的で、スタイル良く見えて素敵だった。当時としては先端を行く制服だったと思う」と懐かしむ。 二十六年の七月一日に間に合うように、夏服も作られた。夏、冬服とも基本的なデザインは今も変わらない。 昭和四十四年には伝統だった男子の制帽着用が自由化した。三年生のクラス討論で持ち上り、自治会は全校生徒を対象にアンケートを行う。「意義があるとは思えない」という廃止派、「東高生の象徴」と主張する存続派、「各人の判断に任せるべき」とする自由派に意見が分かれ、最終的には最も人数の多かった着用自由案が代議員会を通り、職員会議でも承認された。 この年、許可制だったレインコートの自由着用も認められた。岡宮への移転後、特に女子の間で自由着用を求める声が大きくなり、女子が連署を自治会に提出したことがきっかけ。色についての細かい規定はなく、自治会は生徒に対して「良識の上に立つ自治であることを自覚してほしい」と呼び掛けている。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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