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第5部 続・歩み

定時・通信制

将来見据え勉学に励む
定時制第1回の卒業生ら=「百年史」から
 昭和二十三年、沼津東高に定時制が設置された。九月五日に入学試験を実施し、初の入学生三十七人が校門をくぐった。勉強への意欲を持ちながら経済的な事情で全日制進学を断念した生徒や、すでに社会人として働きながら高卒の資格を得ようとする生徒が夜の教室に集った。

 川北冬人(昭33卒)は「運動は夜間のために制限されたが、勉強は昼間の生徒に負けない自負があった」と振り返る。一学年約四十人で人数は少なかったが、中学を出たての十五歳から三十歳を超える社会人まで、さまざまな年齢、職業の生徒が机を並べて勉強した。「男女も学年も関係なく、授業が始まる前に校庭でソフトボールをやった」と夢中で遊んだひとときが印象深い。

 昼間は仕事、夜間は学校の“二重生活”の中、やる気を奮い立たせたのが級友と過ごすひとときや教師の言葉だった。川北は「学校に来るだけでいい。たとえ勉強が苦手でも、勉強に時間を費やしたことが、君たちのプラスになる時が必ずやって来る」と励ました数学の教員を思い出す。

 川北は現在、東高定時制教育振興会の副会長を務める。各校の定時制生徒代表が出場する生活体験発表会にも出席した。「定時制を選ぶ理由が変わってきているが、将来を見据えている点は五十年前と変わらない」と後輩を見守る。

 定時制生徒の“声”が詰まっているのが三十六年に創刊された文芸誌「ひとふさ」。修学旅行や御殿場・国立中央青年の家での校外教室など、教室を離れた学校行事での思い出をつづる文章が数多く寄せられている。部活動にも力を入れた。時間が十分にとれず、慢性的な部員不足に悩まされながらも学生生活に花を添えた。

 通信制は二十三年三月に発足した。県内では東高、静岡高、浜松北高の三校が通信教育実施校に指定された。発足した当時、科目は国語のみ。レポート作成と教員による添削を中心にした内容で、スクーリングや遠足を通して生徒間の交流も進んだ。

 科目、単位数が次第に増え、内容も充実するが、初めて卒業生が出たのが通信制設置から十一年が過ぎた三十四年。三十六年には静岡城北高通信教育部に統合された。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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