<51>

第6部 切り開く

国会議員(上)

狩野川台風の復旧に力
建設大臣に就任した遠藤三郎(右)と岸信介元総理=「追想遠藤三郎」より森田豊寿
 富士山を背にした裾野市民運動公園。その一角に東名高速道路を見下ろすように元衆院議員遠藤三郎(大12了、故人)の銅像が立つ。岸内閣で建設大臣を務め、就任直後に伊豆を襲った狩野川台風の陣頭指揮に立ち、郷土の復旧に当たる一方、首都高速や東名高速の建設に尽力した。台座には「国家の進展と郷土の繁栄に献身し、幾多の功績を残した偉大な政治家」と書かれ、銘盤は岸信介元総理が揮ごうした。中曽根康弘元総理は追想集に「東名を走るたびに遠藤さんを思い出す」と寄せた。

 遠藤は裾野市の農家に生まれ、沼中、一高を経て、東大法学部を卒業、農林省に入った。一高、東大の同級生には福田赳夫元総理、前尾繁三郎元衆院議長らがいた。農林省では総務局長、畜産局長などの要職を歴任。四十五歳で時の総理吉田茂に勧められ衆院選に静岡二区から出馬し、トップ当選。「水産・酪農の遠藤」をアピールするため選挙カーに牛の絵を書いた幕を張り遊説した。以後、九期連続当選を果たす。

 千人を超える死者・行方不明者を出した狩野川台風の翌日、遠藤は自衛隊機とヘリコプターで被災地を訪れ、復旧対策に奔走した。当時秘書官として遠藤に同行した矢田保久(昭8卒)は「予算編成の時期でもあり、大臣は寝食を忘れて復旧対策や今後の治水対策を指示していた」と話す。やがて狩野川放水路を完成させる。太平洋岸自転車道路の建設や国立沼津高専の誘致にも大きな役割を果たした。  矢田は「いざという時に押しが利くいぶし銀のような人で、頼りがいがあった」と言う。秘書生活を通じて遠藤を「人生の師」と仰ぐ保守党幹事長二階俊博(元運輸相)は「努力の人。郷土愛の強い政治家だった」と振り返る。

 「衆院の遠藤、参院の森田」と言われた森田豊寿(明45卒、故人)は農協の一県一組合実現など本県農業の基盤をつくり、農業関係者から“法王”と呼ばれた。沼津市議会議長などを経て、県農協中央会長や日本茶業農協連合会長などを歴任。戦後、衆院一期、参院二期を務めた。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

静岡新聞へ