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第6部 切り開く

県議

地域発展に政治で貢献
 政治の道に進んだのは「新幹線駅を三島に持っていかれ、政治の力が自治体の発展を左右すると感じたから」という多家一彦(昭41卒)。「沼東では自主独立の気風を植え付けられた。体制に迎合するな、自分の道を進めと。一人ひとりの個性を大切にしてくれた。それが今の自分につながっている」。ホッケー部で過ごした多家は関東大会で優勝。同期の上村幸夫(昭41卒)は明大に進み、バンコクアジア大会、メキシコ五輪に出場した。「国語の『スカタン』や社会科の『トックリ』など名物教師が多く、先生たちは“生徒”ではなく“学生”という位置付けを求めた」。多家は小島静馬元参院議員、森喜朗元首相の秘書を経て、沼津市議から県会入りした。

 御殿場線で通学した「山線」組の小野健吾(昭31卒)は卓球部に所属し、団体で東部3位、個人でもベスト16入りを果たした。大学卒業後、家業の茶商を継ぐ傍ら、商店街や商工会、消防団、青年会議所の活動に取り組んだ。その仲間たちに推され、御殿場市議、県議に。「地域や商店街を、もうちょっと良くしたい」というのが原点。「県議は県民の奉仕者で、住民の代弁者。いろいろな人と会う中で、結果的に人間形成にもつながってくる」。グローバルとローカルを合わせた“グローカル”の視点にこだわり「市町村が特徴を出し、競い合うことが地域、県の振興に結びつく」が持論だ。

 沼東での一番の思い出は、春の甲子園出場をかけた野球の山静大会。沼東は二年連続準優勝で夢を阻まれた。「悔しかったけど、応援時のクラスや学校の一体感は今でもはっきり覚えている」と振り返る。

 元職の宮下英彦(昭27卒)は連続四回当選し、自民党県連総務会長、政調会長などを務めた。平成三年から二期の堀江竜一(昭38卒)は前回選で落選し、再起を期す。連歌師宗祇ゆかりの定輪寺(裾野市)住職の中村雄爾(昭29卒)は田方農高、韮山高教諭などを経て、昭和五十四年から県議二期。昨年からことしにかけて「宗祇五百年忌」の行事に取り組み、九月末には裾野市宗祇法師遺跡保存会長に就任した。

 戦後まもなく活躍したのは岩崎亀(大6卒、故人)。県議初当選でいきなり副議長に推され、連続六期当選。県議会議長、党議員総会長など要職を重ね、のちに裾野市長も務めた。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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