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第6部 切り開く

沼津市長

市民の意見に耳傾ける
現沼津市長の斎藤衛さん
 戦後の沼津市長は全部で十一人。うち六人が沼中、沼津東高の出身だ。

 現職の斎藤衛(昭31卒)は平成八年の市長選で初当選した。「東高同級生、同窓生が連日『応援するから出ろ』と電話をかけてきた。これで一大決心した」と振り返る。

 高校時代は体を動かすことよりも、数学が得意、手先が器用で物を作るのが好きだった。「将来は皆の役に立つ仕事をしよう」と思い、公務員を目指して法学部へ進学、建設省に入った。

 現在二期目。狩野川を活用する「セントラルパーク構想」、市の東西南北の入り口を整備する「ファイブエントランス構想」などを打ち出し、県東部の拠点の再生を図る。「一人の力だけでは限界がある。『もっと斎藤カラーを出せ』の意見や辛らつな批判もありがたい」と市民の声に耳を傾ける。

 二年九月から衆院選出馬で辞職する八年九月までの六年間務めた桜田光雄(昭39卒)は、東高で郷土研究部に所属した。従来、遺跡発掘が活動の中心だったが、キャプテンの桜田は「現在にも目を向けたい」と、当時大きな話題だった石油コンビナート進出問題の市民意識調査を提案し、自転車で沼津や三島を仲間と走り回った。高校生の政治問題にかかわる行動は大きな反響を呼んだ。

 小学六年時の狩野川台風が政治家を志した原点。「流れてくる家につかまっている人が助けを求める姿を目の当たりにした。沼津を災害のないまちにしたいと強く思った」。この信念は市長就任後に手掛けた緊急治水対策五カ年計画で実を結んだ。

 昭和五十三年から二期務めた庄司辰雄(昭9卒、故人)は医師。市立病院移転、JR片浜駅の新設、青少年健全育成都市宣言などを手掛け、市民文化センターや明治史料館、牧水記念館など文化拠点整備にも力を注いだ。私設美術館と収集した美術品は遺族が市に寄贈し、「モンミュゼ沼津」として親しまれている。

 井手敏彦(昭12卒)は沼津市初の革新市長。四十八―五十三年の在任中、「沼津方式」と呼ばれた全国初のごみ分別収集を導入したことで知られる。時代を先取りした取り組みは「新沼津方式」となって今に引き継がれている。

 戦後間もなく市長を務めた山本立太郎(大3卒、故人)、長倉宜一(大2卒、故人)も沼中出身だ。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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