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松岡は東高時代、自他ともに認める映画少年だった。当時観賞した映画で印象に残るのは「第三の男」。「週に何度も映画館に通った。見逃すと三島まで追いかけていった」と懐かしむ。 市役所では二年目から十三年間、福祉事務所でさまざまな仕事に取り組んだ。「ケースワーカー三年半の後、あしたか学園開所の事務、遊亀園、野菊園の立ち上げに携わった。この十三年間が私の役所の仕事の原点」と語る。 長沢は沼津西高校長も務め、平成十一年から教育長。高校時代はまだ走りだったコンピューターの仕事に就こうと決め、大学は数学科に進んだ。三年時、機械に囲まれたコンピューター企業の職場を見て「人と接する仕事をしたい」と方向転換。教員だった父の影響で、迷わず教職を選んだ。現在は将来の人材育成を視野に入れた「ちえづくり・人づくり・沼津の教育21」事業を推進する。 部長級の人材も豊富。政策担当参事監の高橋清美(昭35卒)、市振興公社専務理事の勝又武利(昭35卒)は人事課で二度机を並べた。一度は若いころ、もう一度は高橋が人事研修係長、勝又が給与係長だった。十一、十二年度は企画部長の高橋、財務部長の勝又が両輪となって先輩でもある市長・斎藤衛(昭31卒)を支えた。 高橋はかつて狩野川の御成橋―永代橋間で行われた校内対抗ボート大会を引き合いに出し、「当時の狩野川は今よりずっとにぎやかだった。もう一度、あの活気を取り戻せたら」と市が策定作業を進めるセントラルパーク構想に思いを巡らす。 勝又は昭和六十三年に初代の鉄道高架対策室長を務め、開発課長、駅周辺整備事務局長と連続八年間にわたって駅前整備事業に取り組んだ。今も同事業への思い入れは強く「厳しい時代だからこそ、高架事業の推進を」と側面から支援する。 教育次長を務めた後、市立図書館長になった植松攻(昭35卒、旧姓加藤)、市民文化センター館長の山本啓司(昭36卒)も文化面で力を尽くす。生活環境部長の名倉忠興(昭36卒)は、ごみ問題、公共交通活性化などに取り組み、環境向上に力を入れる。産業振興部長の匂坂信吾(昭41卒)は二〇〇七年に沼津で開催予定の技能五輪国際大会に向けた準備、空洞化が指摘される中心市街地の活性化に走り回る。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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