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井川でのへき地医療は、ここ十年ほどで大きく様変わりした。特に救急医療については、長い間不安を抱えていた。急患は山田らが車で運び、迎えに来る救急車と山中で出会って受け渡す。「今年から救急隊と救急車が常に配備され、ヘリポートも出来た」と山田はより迅速な対応が可能になったことを喜ぶ。 診療所は二年前から医療・福祉・保健の連携事業の拠点施設に生まれ変わった。「高齢化が進む井川には、福祉の充実が何より必要」と痛感してきた山田は、「ゼロから出発し、今ではほぼ満足するレベル」と施設を評価する。今後の課題は保健の充実。「井川には運動施設がない。若い世代の健康増進を実行する場所があれば」と訴える。 山田は自治医大卒。同大卒業者には九年間のへき地勤務の義務があり、山田は県立総合病院、佐久間病院、島田市民病院を経て井川診療所に赴任した。 産婦人科が専門だったが、住民の相談は専門外の内容がほとんど。「何でも相談されることが、逆に良い勉強になった」。家庭医学的なへき地医療の面白さに目覚めると共に、地域が山田を必要としていることもひしひしと感じた。三年の義務期限が過ぎるころには、腰をすえてやっていこうと心は決まった。 へき地で診療医を続けることで、病診連携の重要性が身にしみた。「かかりつけ医は普段から患者を看て、急変時には的確に対応する。上手に医療情報をやり取りし、患者が地域医療と専門医の間をスムーズに行き来できるようにすることが大切」と役割を自認する。 地元で医療に携わる東高OBは多い。県医師会副会長の岡田幹夫(昭23卒)は、昭和五十七年から御殿場市医師会長を務め、翌年の県内初の内科・外科・小児科併設の救急医療センター開設に関わった。富士宮市医師会長の指出昌秀(昭33卒)らが最前線で活躍している。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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