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第6部 切り開く

流通(上)ゴトー

競争があり成長がある
「チャレンジの連続だった」と父を語る後藤行宏さん=沼津市のゴトー本社
 間口一間の衣料品店からスタートして店頭公開企業に成長したゴトー。ことし五月に社長に就任した後藤行宏(昭46卒)は、創業者の父成夫(昭16卒、故人)について「厳しさと優しさを兼ね備え、自分が決めた目標を徹底して達成しないと気が済まない人だった。常にプラス思考であきらめず、“ネバーギブアップ”のチャレンジ人生を貫いた」という。

 成夫は十四歳で父を亡くし、復員後、戦後の混乱の中で行商からゴトー洋服店を興した。沼津仲見世商店街の店が軌道に乗りかけた時に火災で焼失するという災難に遭ったが、屈せず復興に着手。さらに中心街の店の座に満足せず、クルマ社会を見越してロードサイド立地の郊外型店舗を積極展開。県内だけでなく神奈川、東京にも進出した。同業他社と設立した日本洋服トップチェーンの理事長にも就任した。

 昭和五十八年。成夫は還暦祝いの席上、「今後十年間で、売上高を百億円にする」と宣言する。当時の売上高は二十億円程度だったので十年間で五倍にするのは高いハードルだった。しかし、八年で目標を達成してしまった。平成三年には念願だった店頭公開に踏み切る。「資本力がないと流通戦争で生き残れないし、企業の知名度、認知度を上げ、優秀な人材を確保する狙いもあった。トップチェーンでも公開している企業があり、何よりも負けず嫌いだった」と行宏は振り返る。

 成夫は小柄だったが沼中では相撲部の主将を務め、柔道にも取り組んだ。弟でゴトー会長の全弘は「仕事にもスポーツにも集中力を発揮し闘争心を燃やす人だった。『そこに山があるから登るのだ。競争があるから成長するのだ』と常に教えられた」。早口でまくしたてる兄の姿が目に焼きついている。

 地域への愛着も人一倍強い成夫は沼津仲見世商店街理事長、沼津商店街連盟会長を務め、駐車場やアーケードの建設、七夕まつりやファッションショーを開催するなど商店街振興に尽力。店頭公開を果たした三年後に急逝した。

 ゴトーはその後、ビデオレンタルやゲーム専門店、書籍などカルチャー事業にも乗り出す。行宏は「大手がやれないきめ細かさと豊富な品揃えで、地域に密着した商売をしていきたい」と決意を新たにする。

 同社には常務取締役の後藤久徳(昭57卒)、ファイブテン事業部課長の後藤知弘(昭61卒)らがいる。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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