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昭和五十三年、三代社長に就任した矢部利治(昭24卒、故人)はホームセンターを核に家電専門の「ヤベデンキ」、総合ディスカウントストア「エスポット」など新業態を次々に展開。利治は「小売業の原点は欲しい商品が、欲しい価格で、欲しい時に手に入ること」と考え、品揃えの良さ、価格の安さ、感じのいい接客、時代に合った規模と設備―を進めた。 株式公開については一部に「時期尚早」との声もあったが、利治は「公開は目的ではなく、企業の健全な発展のための手段。社会的責務の重い企業に脱皮することによって資金調達力が増し、優秀な人材が確保できる」と推進した。 マキヤは明治二十八年創業。先祖が沼津藩の御用商人として乾物商を営んでいた時の屋号「槇屋」からとった。大正十五年の沼津大火と昭和二十年の沼津大空襲で店を失うが、二代目の矢部利雄(故人)が焼け残った土蔵で商売を再開。長男利治と沼中同期で仲が良かった三共社長の高藤鉄雄(昭24卒)は「当時、マキヤ金物店は東部から伊豆一円に商品を卸し、同級生の中で一番羽振りが良かった」といい、全国大会などへの遠征費を援助してもらった部活動も少なくない。 創業百年を迎えた平成七年、利治は多額の私財を投じて「マキヤ奨学金制度」を発足させた。経済的に恵まれない県内の高校生(毎年十人)に年間三十万円を三年間給付する制度で、八年度からこれまでに六十人が受給している。弟で専務の矢部彰造(昭35卒)は「兄は戦中から戦後の混乱期に学生生活を送り、落ち着いて学業に専念できなかったことを心残りだと言っていた」。二十一世紀を担う若者に学生の本分を全うしてほしいという熱い思いが込められている。 矢部の男兄弟は四人とも沼東で学んだ。富三(昭26卒)はマキヤの元専務でヤベデンキ社長を、宏泰(昭31卒)もマキヤ専務を務めた。 現経営陣にはマキヤ常務河原崎健巨(昭47卒)がいる。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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