![]() | <76> | 2001年12月23日掲載 |
今枝は「資料編」は執筆者の推測、解釈を一切付け加えず、事実を羅列しようと考えた。「歴史観が変わっても、基礎的な資料としての価値が変わらないものにしたかった」と強調する。執筆陣にもこだわった。「将来、学界をけん引するような若い人に関わってもらいたい」と母校の東大を中心に若手研究者を集めることに腐心した。 今枝は東大史料編さん所所長を経て、昭和五十八年に東大教授を退官。その直後から県史編さんにかかわった。「こだわりも裏を返せば頑固さの表れ。沼中生らしい性格なのかも」と笑う。 元国士舘大教授、四方一〓(さんずいに弥)(昭24卒)は県教育史や沼津市史、裾野市史などを手掛けた。沼中東高八十年史は四方が中心になって執筆。富士宮北高、沼津市立高などでの教員時代に「生徒には何かを成し遂げたという自信を持ってほしい」と歴史調査を教育に生かすことを考え、生徒らと石碑を訪ね歩いた。比較教育史を研究する江藤恭二(昭20卒)も母校の記念史にかかわり、百年史執筆に参加した。名大教授を経て平成七年から愛知淑徳大現代社会学部の学部長。 京大教授の杉山正明(昭45卒)は十三―四世紀のモンゴル時代史研究に取り組む。著書も多く、NHK大河ドラマ「北条時宗」の時代考証を担当した。 文明圏の枠を超えて存在したモンゴル世界帝国。杉山は「日本からの視点や欧米中心の世界観だけに頼る“意識の壁”、多言語の文献という“言葉の壁”に阻まれ、実体に迫るには程遠かった」と野蛮、侵略的といったモンゴルへの先入観の理由を指摘する。 杉山は十二、三カ国語が読める語学力を武器に、資料集めや調査に北半球を駆けた。「軍隊の駐屯地付近で威嚇射撃を受けたり、中国の山中で野犬に襲われたことも」と身震いするような体験をしている。「歴史学者は事実を提示するのが最大の仕事。検証を重ねただれもが否定できない事実は、これからの人類共有の財産になる」と新たな世界史像に挑む。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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