<77>2002年1月11日掲載

第6部 切り開く

食品(上)

菓子づくりは地域文化
創業50周年を迎え記念菓子を発売したいと語る牧田一郎さん=富士市の田子の月本社
菓子づくりを通して地域文化に貢献したいという土井達夫さん=沼津市
 富士市を中心に県内に二十三店舗を展開する田子の月社長の牧田一郎(昭39卒)は「背景にストーリーがある菓子づくり」を商品開発のコンセプトに置く。「味が良いことは当然だが、その味をさらに引き立ててくれるパッケージからネーミング、売り方にいたるまで田子の月ならではのプラスアルファを織り込み、菓子文化をつくっていきたい」。

 田子の月は甘党で菓子に興味をもっていた父良三(昭4卒、故人)が昭和二十七年に創業した。ロマンチストの良三は田子の浦港に映った月から社名を決めたという。「日本人が好きなもちとあんを一緒にすれば売れるはず」と販売した「田子の月もなか」がヒットし、会社の基盤を築いた。五十年代以降、多店舗展開を加速。創業三十年には「富士山頂」、三十五年には「たごっこ」などの記念菓子を開発し、県内トップクラスの贈答用菓子メーカーの地位を確立した。

 家業の砂糖問屋から土井製菓を創業した土井達夫(昭25卒)は、当初、妻と数人のパートで羊かん作りからスタートした。「下請けの下請け」だった。二年後の昭和四十二年に発売した「富士山羊かん」が大ヒットし、「やっていける自信がついた」。伊豆、箱根の観光地やJR、私鉄沿線に土産菓子の販売網を敷くとともに、草もちや蒸し饅頭、サブレなど戦略商品を続々と開発した。

 しかし、土井は問屋出しだけでは満足できなかった。「菓子商売は直接、消費者と触れ合わないとおもしろくない」。昭和五十四年に直営店として和菓子専門の「雅心苑」を沼津市魚町にオープン。以後、三島、金岡、香貫に展開。洋菓子部門にも進出した。平成十年からは沼津商工会議所副会頭も一期務めた。

 戦後の混乱期に沼東に通った土井は、当時、配給だった砂糖の配達を父由平(明44卒、故人)から頼まれ、授業を抜けだし手伝った。病死した兄由達(昭12卒、故人)、雅心苑社長の長男宣博(昭54卒)、土井製菓専務の二男隆司(昭57卒)と沼中・沼東一家でもある。

 このほか菓子業界では栗せん、茶せんで有名なほさか社長の保坂静夫(昭26卒)、和菓子から洋菓子にスタイルを変えたドルセ社長の木所祺直(昭36卒)らが活躍する。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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