<78>2002年1月12日掲載

第6部 切り開く

食品(下)

味で独自ブランド確立
「楽しめる食」を提案していきたいと語る桃中軒社長の宇野統彦さん
 駅弁と仕出しで創業百十年を迎えた桃中軒社長の宇野統彦(昭39卒)は「生きるための食」から「満足するための食」「楽しむための食」を追求する。駅弁も「地元の食材を使い、その土地でしか味わえないものを提供したい」とこだわる。駿河湾でとれるサクラエビを使った「桜えびめし」や天城産の本ワサビを取り入れた「海ひこ山ひこ」などは出張のサラリーマンなどに好評だ。

 桃中軒は徳川慶喜とともに静岡に移り住んだ幕臣の宇野三千三が東海道線開通の翌年、沼津駅でにぎり飯とタクアンを竹皮で包んで販売したのが始まり。“武士の商法”だった。桃畑に囲まれた沼津市島郷に居を構えていた三千三は「桃畑の中の一軒家」から屋号にした。浪花節の桃中軒雲右衛門は若いころ大阪に帰る途中、沼津駅で桃中軒の駅弁を食べ、「俺も早く名を上げなければ」と芸名にしたと言われる。統彦の父で四代目社長の三郎(昭6卒、故人)は沼津商工会議所会頭を三期務めた。統彦も昨年十一月、副会頭に就任した。叔父の紳七郎(昭12卒)は桃中軒副社長を経て、現会長。

 先代から受け継ぐ手づくりの味で独自のブランドを確立した二の岡フーズ社長の芹沢正治(昭25卒)。今も自宅敷地内の工場の中だけでハム、ソーセージを販売している。混ぜ物や合成保存料は一切使わず、一つ一つが手作りで、その日の商品が売り切れれば店閉まい。その味を求めて東京方面から東名高速を使って買いに来る常連客は多い。芹沢は「欲をかいてもいい物はつくれない」と規模を拡大する考えはない。

 教師を目指した芹沢は、敗戦で父から「卒業後は家業をやれ」と言われふてくされたが、校長の芝順照(故人)から「沼東は進学するための学校ではなく、指導者を養成する学校だ」と諭された。陸上部で長距離に打ち込んだ芹沢は、家業を続けながら体育指導員となり、県スポーツ振興審議会長や全国体育指導員連合副会長に。現在も県体育協会副会長として来年の静岡国体の準備に駆け回る。

 「のっぽパン」で有名な県内最大のパンメーカー・エヌビーエス社長の杉山裕将(昭42卒)は製造・小売りのバンデロールとベーカリーレストランのサンドリアンフーズの社長も務める。「食のサポート企業を目指し、食の提案もしたい」と大手の進攻に立ち向かう。兄征男(昭35卒)はエヌビーエス社長を経て、弁当とサンドイッチのデリカ静岡の社長。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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