<85>2002年1月27日掲載

第7部 鍛える

陸上部(下)

岡宮の坂が高校新生む
昭和45年に高校新で全国優勝した沼津東高チーム=「百年史」から
昭和四十五年八月、和歌山・紀三井寺陸上競技場で行われたインターハイ最終レース。うだるような暑さの中、荒川晃(昭46卒)山本正美(昭47卒)井深成仁(昭46卒)石川真(昭47卒)の四人は千六百メートルリレー決勝にのぞんだ。

 一走・荒川が接戦の末に二位で山本へ。山本はすぐさまトップに出て主将・井深につないだ。長身の井深がみるみる差を広げてアンカー・石川にバトンを手渡す。石川はけいれんを起こした右太ももの痛みに耐えながら、無我夢中でゴールに飛び込んだ。結果は3分21秒5の日本高校新記録。二位に3秒以上の差を付けての圧勝だった。

 東海大会まで常にトップで通過。走るたびにタイムは上がったが、ことさら全国を意識することもなく四人は練習に励んだ。全国での勝負が現実味を帯びてきたのは東海大会を終えたころ。陸上の専門誌に載った各地区の記録を見て、井深らは自信を深めた。

 顧問の望月啓次はいち早く、東部大会で全国行きの感触をつかんでいた。「練習での記録、走力を見ても四人の実力が高いレベルでそろっていると感じていた。“これはいけるぞ”と内心思っていたが、部員には黙っていた」と打ち明ける。スタートダッシュが鋭い短距離の荒川を一走に置き、二・三走で確実にリードを広げ、記録が最も良い石川で勝利を確実にする。全国決勝はまさに望月の読みが的中した展開だった。

 陸上部の全国優勝は十八年ぶり。久々の快挙の裏には厳しい練習があった。前年の冬は岡宮の傾斜地を体力作りに生かした。井深は「急な坂道をインターチェンジの辺りまで毎日のように走った」と言う。部員らは年若い顧問を慕い、黙々とメニューをこなした。望月は「冬期は相当ハードに量をこなした。部全体としても、よくついてきてくれたと思う」とかみしめる。

 四十九年には百メートル・田崎博道(昭50卒)が国体優勝を飾った。翌年は百十メートルジュニア障害・石田喜久夫(昭51卒)がインターハイ優勝を手にした。杉本光繁(平元卒)は六十三年、全日本ジュニア選手権の百メートルで優勝、世界ジュニア大会に出場した。滋賀医大に進んだ杉本は、バルセロナ五輪に出場したいとこの竜勇=沼津三中―浜松北高卒=と共に、トップスプリンターとして活躍した。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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