![]() | <87> | 2002年2月2日掲載 |
初レースとなった国体予選。練習量には自信があったが、本番の緊張感は予想以上に手強かった。コーチ・仲沢信峰(旧姓飯島、昭34卒)から頭にたたき込まれたペース配分が、審判のスタートの掛け声で吹き飛び、四人はがむしゃらに漕ぎ進んだ。 四百メートルを過ぎたころ、バウ・安藤が他校のリードを告げた。波をかぶったコックス・小笹がラストスパートの合図「御成、永代」と声を張る。われに返った四人は猛然と追撃を開始。ワンストロークごとに艇はぐんぐんと伸び、二位に滑り込んだ。艇のリズムを作るストローク・池谷は「この時のラストスパートで感触がつかめた。準決勝、決勝は楽にこなせた」と振り返る。 小笹以外は二年のクルー。平均身長百六十三センチという恵まれた体格がそろった。仲沢は教員石内吉見(大12修、故人)から「久々の大型選手ぞろいだからのびのび育てろよ」とアドバイスを受けていた。「一分間で四十は漕がないと勝てないと言われた時代に、あえて三十三ぐらいで漕がせた。一漕ぎで力強く進んだ」と評する。他校の艇に一度はリードを許しても、同じピッチでじりじりと相手を追い詰めるのが東高ならではの戦法だった。 練習が本格化したのは国体前の春から。放課後、毎日のように艇庫から狩野川河口までを二往復半から三往復、約十キロを漕いだ。春・夏の合宿では一日に十キロを三本こなす。仲沢は「要求した以上の練習を自分たちでこなした。素質以上に努力を積んだ」と舌を巻く。 インターハイでは渡辺赫子(昭41卒)がコックスをつとめ、優勝。「国体優勝はまぐれではないか」との声を完全にはねのけた。
(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。
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