<88>2002年2月3日掲載

第7部 鍛える

ボート部(下)

新艇庫建設でOB結束
平成4年に完成した新艇庫=「漕艇部史」から
 平成四年三月、沼津市市場町の狩野川堤にボート部の新艇庫が完成した。鉄骨造り二階建て、延べ床面積二百七十三平方メートルで一階は練習室、二階に艇庫が設置された。現在は「あゆみ橋」の建設とともに約二十メートルほど北側に移動している。

 旧艇庫は昭和二十四年、ナックルフォアの新艇導入と同時期に建設された。ボート競技の主流が、ナックルフォアからより大型のシェルフォアに移り、艇庫は手狭になる。木造のため老朽化も進んだ。

 山田登康(昭24卒)や佐藤実らのOB、元顧問を中心に改築を提案する声が出る。宇野紳七郎(昭12卒)は「岡宮にある東高と狩野川をつなぐ結び目として意味深い建物」とOB会報で協力を呼び掛けた。艇庫完成後は、OB会で約九十年間の歴史を振り返る「漕艇部史」をまとめた。佐野勝博(昭45卒)は「ボートはチームワーク第一の競技。卒業後も結束は固い」と節目の年の活動を振り返る。

 ボート部は明治三十六年、端艇部として産声をあげた。教員や生徒などの有志の寄付金で端艇「愛鷹」「浮島」、帆船「東海丸」を購入し、活動が始まる。当時、県内で端艇部があったのは沼中だけで、校内大会が活動の中心となった。

 狩野川での端艇大会は名物行事となり、市民も応援に駆け付けた。大正時代に入ると、端艇大会はさらに盛り上がり、通学区での対戦、卒業生や沼商生、魚河岸や駿河銀行も参加する一大イベントとして定着する。

 初の対外試合は大正十四年の明治神宮競技ボートレース。昭和三年には同レースで優勝し、ボートの名門校としての快進撃が始まった。昭和七年のロス五輪には早大の佐野敏(昭5卒、故人)が出場している。

 戦後、活動を再開したボート部が、再び全国の頂点に立ったのが三十九年と四十三年。石川順康(昭59卒)は早大からコックスでソウル五輪に出場した。四十三年に福井国体で優勝した池谷邦行(昭44卒)は母校でコーチを務めた。教え子の佐藤潔(昭55卒)も平成十三年から東高で指導につき、後輩の育成に力を注ぐ。今年三月の全国選抜大会には男子クルーを送り込む。

(文中敬称略)
【注】カッコ内は卒業年。

掛中・掛西百年史 榛原高校百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年

引佐高の百年 田方農高の百年

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